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開 店

皆さんも一度は口にしたことがあるであろう、


  マクドナルド
   McDonald's

のハンバーガー。


今では全世界に約3万店舗を展開する誰もが知っている有名チェーン店ですが、その第1号店がロサンゼルスにほど近いサンバーナディーノという砂漠地帯にある街にオープンしたのが、今からちょうど80年前の今日・1940年5月15日のことでした。

    

             サンバーナディーノの位置

同店の創業者は、モーリス・マック・マクドナルド(1902-1971)とリチャード・ディック・ジェイ・マクドナルド(1909-1998)の兄弟。


    
       Richard "Dick" J. McDonald         Maurice "Mac" McDonald 


しかし意外なことに、開店当初はハンバーガーを売っていなかったそうな。

その後同店ではメニューをハンバーガー・フライドポテトやドリンクだけに絞り、使い捨ての紙でハンバーガーを包んで食器洗浄機を導入しない等の徹底的な効率化を図ることにより高品質・低価格と素早いサービスを売りに。

    


早い・安い・美味い・・・まるで吉野家みたいですが、当然のことながら店は大繁盛。

しかしマクドナルド兄弟は多店舗化などは考えていませんでした。

そのマクドナルドを世界的なチェーン店にした立役者が、レイ・クロック(1902-1984)という人物。

       

                       Ray Kroc

チェコ系ユダヤ人の家庭に生まれ、高校中退後様々な職業を転々とした苦労人でしたが、その彼がマクドナルド兄弟と出会ったのは、ミルクセーキ製造機のセールスマンをしていた1954年のこと。

いきなり8台も発注してきたマクドナルドの店を訪れた彼は、その効率的な調理システムを見て驚きましたが、同時にそれをフランチャイズ展開することを思いつき、兄弟に提案。


当初は渋っていた兄弟でしたが、粘り強い交渉の結果クロックはフランチャイズ権を獲得。


1955年3月にマクドナルドシステム会社を設立し、5年後に社名をマクドナルドコーポレーションに変更・・・これが現在でもフランチャイズ本部となっています。

しかしマクドナルド兄弟とクロックの関係は、それに反比例して悪化していったとか。

そして1961年、様々な衝突の末にクロックは兄弟から約270万ドルで店舗や販売権を買い取り、1965年に株式公開。

その後世界中に店舗が拡大していったことは、皆さんもご承知の通り。

ですから効率的な販売システムを考案したのはマクドナルド兄弟でしたが、それを世界的大企業に育て上げたのはクロックだったというわけ。

中々のやり手だったクロックですが、その実像に迫る映画が、2017年に公開されています。


 『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ


    

キャラの濃い彼の裏側の部分を暴き出した作品ですので、興味のある方は、是非ご覧下さい。

もしかしたら、マックのハンバーガーを食べたくなくなるかもしれませんが・・・。


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天 使

現在は性差別撤廃の流れの中、この呼称は使われなくなりましたが・・・皆さんは〝看護婦〟といえば、誰をイメージしますか?


私を含め多くの方が、真っ先に彼女の名を思い浮かべることでしょう。


 フローレンス・ナイチンゲール 女史


       Florence Nightingale


今日・5月12日は、〝戦場の天使〟といわれた彼女の記念日・ナイチンゲールの日なのだそうな。


彼女は看護婦のシンボル的存在ですが、実際には一看護婦というだけでなく、教育者・統計学者、そして実業家としての力量を持つ実に多才な人物でした。


       


彼女は1820年5月12日に、裕福なイギリス家庭の次女として両親の新婚旅行中にフィレンツェで生まれました。

そう、記念日は彼女の誕生日に合わせて制定され、今日は生誕200周年にあたるのです。


幼少時から非常に高度な教育を受け、フランス語・ギリシャ語・イタリア語などの外国語や哲学・数学・歴史、更には美術や音楽・文学など幅広く学びます。


そんな彼女の運命を決定付ける出来事が、17歳の時に起こりました。


「私のところに来て奉仕をなさい」 という〝天の声〟を聞いたのです。


そして24歳の時、「病院で病気やケガをした人の世話をしたい」 と言い出すや従兄からの求婚を断って近所の病院に入り、看護の勉強を始めます。


(彼女は生涯に3回プロポーズされたそうですが、〝天の声〟が実行できないという理由で全て断り、しかも3人目の相手を姉に譲ってしまいます。)


その後ドイツの看護学校で学びロンドンの病院で無給の看護活動を続けていたナイチンゲールは、以前ローマに旅行した際に知り合ったシドニー・ハーバード戦時大臣からクリミア戦争の従軍看護を依頼され、シスター・看護婦38名を連れて最前線へ。


現場で官僚縦割り組織の弊害に苦しめられつつも、戦地病院の看護総責任者となった彼女は献身的な看護と院内の衛生状態を改善することにより、当初42%だった死亡率を5%にまで劇的に下げることに成功。


兵士達からは〝クリミアの天使〟と呼ばれ、絶賛されました。


そして彼女の高い能力はこの戦争が終わった後、一段と発揮されることに。


帰国すると各病院のデータを収集し、それを自ら発案したグラフにまとめるなどして統計資料を作成。

これが後の保健制度や軍の組織改革にまで役立ったといわれます。


彼女はこの手法の考案者として後に英国統計学会の会員に、更には米国統計学会の名誉会員にもなりました。


また戦時中立ち上げたナイチンゲール基金を元に看護学校を設立。


その運営にも関わり、イギリスの看護婦養成体制の基礎をも築きました。

    


〝戦場の天使〟といわれた彼女ですが、実際に従軍看護婦として活動したのは2年間のみ。

現場での看護活動より、むしろ国や軍を相手に渡り合って国家規模での看護体制づくりに貢献した立役者だったといえましょう。


しかし彼女自身は従軍看護活動の際に罹った熱病が原因で37歳の時から闘病生活を送り、80歳過ぎには失明しています。


自らの不遇をものともせず〝神の声〟を忠実に実行し続け、今から110年前の1910年8月13日・・・まさに〝天使〟となって天国に旅立った彼女のご冥福をお祈り致します。笑3

最後に、貴重な彼女の肉声をこちらでお聴きください。


 


When I am no longer even a memory,  just a name,  I hope my voice may perpetuate the great work of my life. God bless my dear old comrades at Balaclava,  and bring them safe to shore.  Florence Nightingale.


私が人々の記憶から消え、ただ名前だけが残った時、私の声が私の人生での偉大なる功績を永遠のものにしてくれることを望みます。

バラクラバ
(※彼女が従軍したクリミア戦争に於いて、1854年10月にイギリスとロシアが交戦した東欧の街の名)の同士達に幸あれ。

そして彼らが無事家に帰れますように。 


                        フローレンス・ナイチンゲール


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表 彰

特に中高年世代の方は、今まで一度は何気ない日常会話の中で、

 健康優良児

という言葉を使ったことがあると思います。

丈夫かつ頭の良さそうな子供に、誉め言葉として使ったことがあるかと・・・。

これは実際に制度として存在したもので、「日本一の桃太郎を目指す」という触れ込みで始まったもの。

その『第1回日本一健康優良児表彰式』が行われたのが、今からちょうど90年前の今日・1930(昭和5)年5月5日のことでした。

    

             第1回に表彰された健康優良児たち

桃太郎に因んで端午の節句に合わせたことは、言うまでもありません。

主催したのは朝日新聞社、文部省の後援で始まったこの表彰制度は、1930年2月現在で5年生に在学中の体格はもとより学力・体力・操行
※素行・品行の意の優秀な男女1人ずつの推薦を求め、地方審査会→中央審査会と審査を経て最終決定・表彰するというもの。

審査基準については、「先天的に恵まれている体質と教養育に於ける後天的要素とを加味した健康を60点とし、運動能力に30点、学術操行に10点を与え、以て三育の理想的な融合を100点とした」 とか。

表彰された児童には、記念メダルが授与されました。

    

翌年からは4月現在6年生に在学中の児童を対象として、毎年華々しく開催され、支那事変から戦時体制が強まった1938年からは、優良児を育て上げた母親も表彰の対象に。

ただ当時は戦時中だったため、健康優良児として表彰された児童はいち早く招集され、1930~37年の間に毎年〝特選優良児〟に選ばれた20名の男子のうち50%が戦死したとか。

陸軍全体の死亡率が18%だったそうですから、異常な死亡率・・・選ばれたことが却って不幸だったのかもしれませんし、母親も喜びから一転悲しみに沈んだことでしょう。

戦前・戦中は強い兵士育成の指標だったこの制度ですが、戦後は食糧事情改善の指標として存続。

表彰は毎年11月3日・文化の日に行われるように。


しかし 「不要な優越感や劣等感を生む」 等の批判が強まり、個人単位の表彰は1978年に、そして学校単位の表彰も1996年に廃止。

ですから日常会話では使う単語でも、実際に表彰される子供は現在いないはず。

実は私、小学6年生の時に学校の健康優良児に選ばれたことが。

しかしそれは、担任から 「お前、選ばれたゾ」 と口頭で言われただけで、メダルや表彰状はもらわず仕舞い。

ただ健康優良児だからと言う理由で鼓笛隊の先頭に立って指揮杖を振らされ、運動会でウルトラセブンを演奏した・・・それしか記憶がありません。

別に他人より勝っているなんて優越感はなく、友達からも何の反応もありませんでした。

今時なら、すぐさま差別だ何だと騒がれる制度でしょうが、個人的には(自分が選ばれたからではなく)こういう表彰制度があってもいいと思うんですけどネ。

何でも横並びにしようという日教組教育は、結果的にエリート教育を阻害し長い目で見れば国力を落としますから。

それが反日左翼勢力の狙いでしょうし・・・。

それにしても、普段差別を声高に批判する朝日新聞が、先頭に立ってそういう表彰制度を長年主催していたとは・・・まさにダブスタ。
うー


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辛巴威

今日のタイトルは、ある国の和名なのですが・・・読める方、いらっしゃるでしょうか?

読めない方に、第1ヒント。 その国の国旗は、こちら。(↓)

       

えっ、ますます分からない?

では第2ヒント。 過去世界ランキング1位になったこともある名ゴルファー、ニック・ブライスを輩出しています。

ゴルフやらない方には、ヒントにすらなってませんか。

正解は、アフリカ南部に位置する、


ジンバブエ共和国
 Republic of Zimbabwe


今日はこの国家の独立記念日であり、独立40周年にあたります。


       


13~15世紀にかけジンバブエ王として繁栄しましたが、1890年代からイギリス南アフリカ会社に統治され、第一次世界大戦後にイギリスの植民地に組み込まれ、英領南ローデシアに。

国土の殆どが白人農場主の私有地となりました。


第二次世界大戦後に脱植民地化の波が同地にもやってきて、1960年代から黒人による独立運動が起きましたが、それに逆行する形で、1965年に植民地政府首相イアン・スミスが白人中心のローデシア共和国の独立を宣言し人種差別政策を推進。

これに黒人勢力が反発してゲリラ戦を展開。


国際社会からも非難の声が上がったため、1979年イギリスの調停により白人を国会議席の20%に抑えることで合意し、ようやくローデシア紛争が終結。

翌1980年に総選挙が実施され、同年4月18日にジンバブエ共和国が成立したのです。

しかしそれで万事めでたしめでたし・・・とはなりませんでした。

この時に初代首相となったロバート・ムガペは、1987年に議院内閣制を廃止し大統領制に移行させると、自ら第2代大統領に就任し、首相ポストを廃止。

その後2017年に国防軍のクーデターによってその座を追われるまで、30年間に渡り独裁を続けました。

       


1999年に自らの一族が所有するコンゴのダイヤモンド鉱山を守るため、同国の内戦に1万人もの軍を派遣。

その負担のためにジンバブエ国内の経済が悪化すると、今度は国内の白人農場を強制収用し、
農場で働く黒人農民に再分配する〝ファスト・トラック〟を開始。

しかしこの人気取り政策は、白人を追い出すことで彼らが持つ技術・知識を失うことになり、結果としてハイパー・インフレを招くことに。

更に2008年には国内でコレラが流行し、4,000人以上もの死者を出しました。

21世紀に入っておかしくなった独裁者・ムガペ大統領ですが、1981年に初来日し1989年には国賓として夫妻が招かれ、天皇皇后両陛下と会見。

クーデター前年には安倍総理の招待で日本を訪れており、都合4回も来日しています。

なんでこんなに・・・と思いますが、まぁ30年も大統領に君臨していれば、それなりに回数が増えるのも無理はないでしょう。

日本としても、累計1,000億円以上も資金・技術援助していますし。

※ムガベはクーデターによって大統領の座を追われた2年後の2019年、老衰により95歳で他界。


今後同国の政治・経済が安定するのかどうか?・・・在留邦人100名弱は、毎日気が気じゃないでしょうネ。
うー


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予 防

今日は4月9日・・・ということで、語呂合わせから

 子宮頸がんを予防する日

なのだそうです。

子宮頸がんとは、子宮下部にある管状の部分・子宮頸部に発症する癌のこと。

    


子宮にできる癌のうち約70%を占めており、以前は発症のピークが40~50歳代でしたが、近年は20~30歳代と若年化傾向にあり、30歳代後半がピークとなっているそうな。

日本国内では毎年約1万人の女性が発症して約3,000人が亡くなっており、残念ながら2000年以降は患者数・死亡率とも増加しているとのこと。

この癌の殆どは、
ヒトパピローマウイルス(HPV)というウイルスの感染が原因。

HPVは男性・女性問わず感染するありふれたウイルスであり、性交経験のある女性の過半数は、一生に1度ならず感染機会があるといわれています。

しかし仮にHPVに感染しても、90%の人は免疫の力でウイルスが自然に排除されますが、残り10%の人ではHPV感染が長期間持続するそうで、このうち自然治癒しない一部の人は異形成とよばれる前がん病変を経て、数年以上をかけて子宮頸がんに進行するとのこと。

症状としては、早期の場合殆ど自覚症状がないそうですが、進行するに従って異常なおりもの、月経以外や性交時の出血、下腹部の痛みなどが現れてくるそうですから、これらの症状がある女性は、早めに医師の診察を受けた方が良いでしょう。

しかしより確実なのは、今日の記念日名にある通り、予防をすること。

その予防に効果的といわれているのが、子宮頸がん予防ワクチン(HPVワクチン)。

現在70ヶ国以上で国家プログラムとして接種が行われています。

    

現行のワクチン接種により60~70%の発症を抑えられると考えられており、世界保健機構(WHO)はその有効性・安全性を確認し、性交渉経験前の10代前半に接種することが推奨されています。

しかし我が国では、その接種率は僅か1%未満なのだそうな。

その主たる原因は、SNS上などで一部識者や経験者から 「このワクチンには重篤な副作用があり、危険だ」 という指摘がなされたから。

確かに日本では2009年にワクチンが承認され、2013年4月から接種が開始されましたが、接種後に多様な症状が生じたとする報告がなされたため、同年6月から自治体による積極的な接種が控えられているとのこと。

しかしその〝多様な症状〟の原因がワクチンであるという科学的な証拠は示されておらず、厚生労働省専門部会においても因果関係は否定されていますが・・・。

さて、もし皆さんに10代のお嬢さんがいたら、この予防接種を受けさせますか?


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非人道的

今日はクイズからスタートです。

普段の会話では時々踏むことがありますけど、実際にそれを踏んだ現代日本人はまずいないモノって何でしょう?

正解は・・・そう、


 地  雷
  land mine


今日・4月4日は、国連が定めた 『地雷に関する啓発および地雷除去支援のための国際デー』 なのです。


地雷については、戦争映画・ドラマによく登場しますので、知識としては多くの方がご存じでしょう。

多くの場合地表または地中に設置され、人間が踏むと爆発する兵器のことを指しますが、中には対人だけでなく対戦車地雷という人が踏んでも爆破しない代物も。

       

また地中ではなく地表に設置し、ワイヤを張ったり遠隔操作で起動させられる、踏まなくても爆発させる〝クレイモア〟と呼ばれる指向性対人地雷というタイプもあるそうな。(↓)

    


更には航空機やヘリコプターで空中から散布できる小型地雷もあるというのですから、驚きます。

この地雷は、あくまで殺人ではなく兵士にケガを負わせるのが主目的。

なぜなら、兵士1人の即死はそのまま兵力の1人減であるのに対し、1名が重傷を負えば看護・搬送に人員が割かれるため、前線兵力は2人以上減となり敵戦力をより落とせるから。

また足の切断などで苦痛を訴え続ける兵士の存在は、他の兵士の戦意を削ぐ効果があるといわれ、更にはいったん設置されると半永久的に作動することから〝非人道的〟あるいは〝悪魔の兵器〟と呼ばれます。

現在地球上には7千万~1億、または1億2千万個以上の地雷が敷設されているとのこと。

地雷1個の製造費は3~30ドルと安いのに、撤去には300~1,000ドルもかかるそうで、現在は5,000人がかりで毎年10万個を除去しているそうですが、このペースだと完全撤去には1,100年前後かかる計算。

日本国内では無関係とはいえ、地球規模では実に厄介な代物なのです。

しかし、この除去に作業に関して手を挙げ行動を起こした有名人がいました。

それは、ダイアナ元妃。

チャールズ皇太子と離婚した翌年、彼女は内戦で地雷が数多く敷設されたアンゴラを訪問。

防御マスクやプロテクターを装着して地雷原を歩くダイアナ元妃の姿は同行したBBCによって撮影され、世界中に配信されました。

       

そして彼女がフランスで亡くなった3ヶ月後の1997年12月に、対人地雷の使用・貯蔵・生産及び移譲の禁止を謳った 『対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)』 が締結されたのです。

ダイアナ元妃のおかげで地雷に対する関心が飛躍的に高まり、条約締結が早まったことは間違いないでしょう。

しかし彼女の死因については、未だに暗殺説が消えていません。

もしかしたら彼女は、知らぬうちに〝見えない地雷〟を踏んでしまったのかも・・・。

最後に、彼女が心血を注いだ地雷除去に関するオタワ条約には、現在でも武器大国のアメリカ・ソ連・中国が加わっていないことも、申し添えておきます。うー


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個 性

今日・4月2日は、2007年の国連総会本会議で加盟国の支持を得て制定された

 世界自閉症啓発デー


なのだそうな。

自閉症とは先天的な発達障害のひとつで、特徴としては

 ①社会性と対人関係の障害
 ②コミュニケーションや言葉の発達の遅れ
 ③行動や興味の偏り

の3種類があるといわれています。


その原因には諸説あるものの、未だ特定されていないとのこと。

症状としては様々ありますが、多い事例としては


 ◆言語の発達の遅れ
 ◆対人面での感情的な交流が困難または無関心
 ◆反復的な行動を繰り返す
 ◆常同(※同じ行為を不自然に繰り返す)的に奇声を発する


などがあげられ、ほぼ3歳までにその症状が表れ始め、発症率は男児が女児の約5倍。


世界的には約2,130万人、1,000人当たり1~2人の確率といわれています。

しかし以前は、これが病気だという認識が社会に乏しく、突然暴れ出したり感情の抑制が効かない子供がいると、それは育て方や躾が悪いと親が批判されることが当たり前でした。

これが大きく変わったのは、1988年に公開された映画『レインマン』だったように思います。


ダスティン・ホフマン演じる自閉症(厳密には
サヴァン症候群)患者が、抜群の記憶力でカードのカウンティングをしたことで、一般人にはない才能を見せたことが大きかったのではないでしょうか。

    

その後アメリカTVドラマのCSI:科学捜査班やCSIマイアミなどにも自閉症患者が登場し事件解決につながる活躍をしたことも、世間の理解を深める役割を果たしたと言えましょうか。


自閉症は病気ではなく個性である・・・私は、そう考えています。

とは言え近年、父親の年齢が高い時に授かった子供が自閉症になりやすい、という研究結果が発表されたそうな。

男性諸氏は子供が欲しければ早めにどうぞ・・・って、まずはお相手の女性を探すことが先決ですが。


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AMEX

私のような中高年世代の方なら、こんなテレビCMに見覚えがあると思います。(↓)



ゴルフ界の帝王ジャック・ニクラウスがたどたどしい日本語で喋る

「出か〝く〟る時は、忘れずに!」

のキャッチ・コピーが妙に耳に残ったものですが・・・このクレジット・カード会社として名の知られた


 
アメリカン・エキスプレス

 American Express Company


が創業したのが、今からちょうど170年前の今日・1850年3月18日のことでした。

皆さんの中にも、同社のクレジットカードをお持ちの方がいらっしゃると思いますが・・・ところで、何で社名が〝エクスプレス〟なんだ? って不思議に思ったことはないですか?


実は同社、創業時は運送会社だったんです。


    

金融機関ウェルズ・ファーゴを創業したヘンリー・ウェルズ(下写真・左)とウィリアム・ファーゴ(同・中)、ジョン・バターフィールド(同・右)の3人が、ニューヨーク州バッファローで荷馬車を使った運送業を始めたのがルーツ。

  

幸いにも事業は好調で、輸送網をアメリカ国内に留まらず、カナダやメキシコにも展開。


この販売網を利用すべく、1882年に世界で初めてマネー・オーダー(送金為替)業務を開始・・・これが金融業進出の端緒となりました。

更に1891年にはウィリアム・ファーゴの発案により、トラベラーズ・チェックを発行。


    

これがアメリカのみならず諸外国にも受け入れられ、同社は1895年以降海外にも支店を設立、日本では1917年に横浜で支店を開設しました。


    


そして第一次大戦中もトラベラーズチェックの決済を行い高い評価を受けると、1958年にはアメリカホテル組合が運営していたクレジット会社を買収し、現在の主力であるカード事業に進出。

その翌年には早くも現在一般化している磁気ストライプカードを導入。

1966年にはゴールドカード(日本では1980年)を、そして1984年にはプラチナカード(日本では1993年)に発行。

       


更にはカード会員向けにポイント・プログラムを発行するなど、常にカード業界の先陣を切るサービスを行ってきました。

2000年にはJCBと連携を開始しましたが、その企業風土・歴史から、海外旅行者やホテル利用客に対するサービスが充実していることが他社よりも優れている点でしょうか。

サブプライムローンの焦げ付きにより事業が悪化した時期もありましたが、今でもカードのステータスは落ちていないアメックス・・・貴方も1枚持ってみませんか?

なんて言ってる私は、現金払いが好きなので持つ予定はないですが。

もし持つなら、
センチュリオン・カード(即ちブラック・カード)がいいナ・・・って、35~50万円ともいわれる年会費すら払えませんけど。

       


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軍 靴

今や私たちは毎日当たり前のように靴を履いていますが、そもそもこれは西洋文化。  今日はその

 靴の記念日

なのだそうです。


日本人が靴を履くようになったのは、江戸時代末期・・・開国とほぼ同時に洋服共々諸外国から入ってきたとか。


有名なところでは、あの坂本龍馬が靴を履いて写真に収まっていますネ。


しかし当初、輸入靴は日本人の足型に合わず、人々は 〝窮屈袋〟と呼んで敬遠していたそうな。


明治維新を迎え、富国強兵の政府方針に従い洋式軍隊の整備を目指した兵部大輔・大村益次郎は、かつて獄中(!)で知り合った旧佐倉藩士の実業家・西村勝三に日本人の足に合った軍靴の製造を依頼。


         

日本の靴の歴史は、軍靴から始まったんですネ。    


そして靴の記念日は、彼が今からちょうど150年前の今日・1870(明治3)年3月15日、築地入船町に日本初の靴工場である 『伊勢勝造靴場』 を設立したことに因みます。



この工場が元となり、その後いくつかの会社を合併して1902(明治35)年に創業した日本製靴株式会社こそ、あの有名な 『リーガルコーポレーション』 のルーツなのです。


ところで、私たちが靴を買う時に確認するサイズは〝cm〟ですょネ。


実はこのサイズ表示を使用しているのは、日本だけなんですって。


(韓国もcm表示だそうですが、厳密にいうとサイズそのものが日本と少々違うとか。)


一方アメリカやイギリスではインチ表示・・・足型同様、所変われば品変わるってことのようです。


そしてよく 「靴は夕方に買え」 って言われますが、実際人間の足は起床直後に比べて夕方には最大20%近く体積が増えるそうですから、正解かも。


また相撲取りは強くなって番付が上がる程、足が大きくなって足袋を作り直すそうですから、人間の足って結構変化するようです。


そういえば、こんな諺(?)をお聞きになったことはありますか?


 『馬鹿の大足 間抜けの小足 

      中途半端のろくでなし 丁度いいのは俺の足』


私、中学の時に履いていたバスケットシューズが29cmでしたから、よく 「だからオマエは・・・」 って言われました。


まァ、その通りでしたけど。

大学時代に使っていた野球のスパイクは28.5cmで、サラリーマンになってから履いているビジネスシューズは、28.0cm。

ですから、よく飲み屋で玄関先に靴を並べた時も、一際大きかったですから、他人に間違われることはありませんでした。

ただ下駄箱に入れる店に行った時、私の靴を入れたら扉が閉まらず、仕方なく玄関先に置いたことが・・・。

そして帰ろうとした際、私の前にいたサラリーマンが

「なんだ、このでっけぇ靴! 人間の履くモンじゃねぇナ。

 きっとコレ履いてるヤツ、大バカだぜ~。」

と大笑いしたものですから、すかさず私が

「バカの大足で悪かったナ。」

とスゴんだら、連れと一緒に脱兎のごとく逃げて行ったことも・・・。 

しかしここ数年前から少し足のサイズが小さくなったのか、28cmだと少し緩く感じるように・・・。


もしかして、少しお利口になってきた?・・・いや、単純に歳を取っただけなんでしょうネ、多分。 うー

皆さんの足・・・というか靴のサイズ、昔と変わりありませんか?


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EXPO

“ こんにちは こんにちは 西の国から~ 

     こんにちは こんにちは 握手をし~よ~う~ ”音譜


故・三波春夫さんが歌う 『世界のくにからこんにちは』・・・この歌をご存じなのは、おそらく50歳以上の方が殆どかもしれません。


この歌をテーマ曲にして戦後日本の復興を世界にアピールした一大イベント、


 日本万国博覧会

・・・いわゆる〝大阪万博 (EXPO '70)〟が、今からちょうど50年前の今日・1970(昭和45)年3月14日 (一般公開は15日) に開幕しました。

※EXPOは “exposition =博覧会” の略


       


この一大イベントは、政治家・作家として活躍した故・堺屋太一氏が通産官僚時代に提案・企画。

現在も残されている岡本太郎氏製作の 『太陽の塔』 をシンボルマークとして大阪・千里丘陵の330haという広大な敷地に77ヶ国、その他の地域・公共体・企業が 『人類の進歩と調和』 をテーマとして合計116もの近未来的なパビリオンを建設。

同年9月13日まで183日間開催され、
累計入場者数・約6,421万人を記録しました。


当時、長野市内に住んでいた私は小学校5~6年生でしたが、クラスメートの約半数近くがとっかえひっかえ学校を休んでは家族で万博旅行に出かけていたことを憶えています。


もっとも私自身は、野球に熱中していて万博など眼中になし・・・ってところでしたが。あせあせ


そしてこの万博の最大の目玉は、コレ。(


       


そう、この前年にアポロ12号が持ち帰った〝月の石〟。

エア・ドーム型のアメリカ館に展示されました。


私の同級生たちも100%コレを見たさに学校休んで行ったわけですが、その人気たるや想像を絶するもの・・・上野動物園に初めてパンダが来た時も凄かったですが、それ以上。


確か3時間以上待つのが当たり前、あまりの混雑に見るのを諦めた方が結構いたはずです。 


ガッカリして帰ってきた同級生が少なからずいましたから。ダメだぁ顔


       


石ころひとつに日本中から人が集まる・・・ある意味平和というか、長閑な時代でした。


また博覧会には、最先端の科学技術・・・リニア・モーターや動く歩道、そしてエア・ドーム型のパビリオンなど様々な展示物が注目され、現在では当たり前のように利用しているものが多数ありました。


その中で、私が最も感慨深いのは、『携帯電話』。(


       万博


虎屋の羊羹より大きな受話器ですが、当時黒いダイヤル式の でんわ しか知らなかった子供の私には、プッシュホンであるだけでも珍しく、更に〝コードレス〟なんて信じられませんでした。


全くの夢物語のようだった携帯電話が半世紀経った今、小型化したばかりかテレビが見られたりパソコンと同じ操作ができるようになるなんて・・・。


EXPO'70を知る者にとって、科学の進歩は目を見張るばかりです。

果たして同じ大阪で2025年に開幕が決定している万博には、どんな未来の科学技術が展示されるのか?


また〝月の石〟のような超目玉展示品があるのか?

今から楽しみです。


そういえば、この時に埋めたタイムカプセル・・・5,000年後に掘り返すはずだったと思いますが、ちゃんと場所が分かってるのかナ?あせあせ


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