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一 喝

桃の節句に似つかわしくない話題で恐縮ですが・・・皆さんは、『国家総動員法』 って耳にしたことがあると思います。

これは国家の全ての人的・物的資源を、政府が統制運用できる旨を規定したもの。

つまり国を挙げて戦争に備えるという今では考えられない法律ですが、これが成立したのがアメリカと開戦する3年8ヶ月前の1938(昭和13)年4月1日。

実は更にその1ヶ月弱前、つまり今からちょうど80年前の今日・4月3日に同法案の審議中だった国会内で


 黙れ事件

と呼ばれる一騒動が起きました。


主人公は、佐藤賢了(けんりょう 1895-1975)中佐。


       


当時彼は軍務化国内班長で、(国家が経済の管理を行う)統制経済の専門家でした。

第一次世界大戦でドイツが自由経済のまま開戦。
戦争終結と同時に企業が大量の在庫を抱えハイパーインフレに突入し、紙幣は紙くず化。

その経緯を踏まえ、国家が指定した分だけ製品を生産させ、その全てを買い取ることで企業がリスクを回避できる・・・という制度。

彼はその知識を買われ、同法案の審議に陸軍側の説明員として出席していました。

しかし政府と与党の議論は、両者とも同法案の根幹である統制経済について知識が不足していて噛み合わず・・・そこでその道のプロである佐藤中佐に発言の場が巡ってきたのです。

指名された佐藤中佐は嬉々として答弁に立ち、法案の精神やら自己の信念を約30分にわたり滔々と〝演説〟。

これに業を煮やした質問者の立憲政友会・宮脇長吉議員が、「止めさせろ」「答弁ではない」 と野次を飛ばしたのを聞き咎めた佐藤中佐が


 「黙れっ!」 怒

と一喝したのです。 


一説明員だった軍人が国会議員を恫喝したとして、委員会は紛糾。


結局、杉山陸相が陳謝することで事態は収拾したのですが、席を蹴って退場した佐藤中佐に処分は下されず。

実は野次を飛ばした宮脇議員は元軍人で、佐藤中佐が陸軍士官学校に通っていた時の教官。

つまりお互いに顔見知りであったことから、ついつい口元が緩んだのでしょう。

ですからこの事件について後にマスコミは軍が議会を脅迫したかのように伝えていますが、実際はちょっとニュアンスが違っていたようです。

ただ佐藤氏は後に自伝で、「黙れ、と言った後で〝長吉!〟と言おうとした言葉を辛うじて飲み込んだ」 そうな。

元教官を呼び捨てにしようとしたとなれば、やはり軍人の増長があったと言わざるを得ないかも。

さて、その場ではお咎めなしだった佐藤中佐は、東條英機の側近〝三奸四愚〟の一人として後に中将にまで昇進しましたが、終戦後痛い目に遭います。

それは、この一喝を以って(もちろん、それだけではないとは思いますが)戦後GAQに対中戦を積極的に遂行したとして最年少のA級戦犯に指定・逮捕されたこと。


       

          前列右が佐藤中将 2列目左端が東條英機


東京裁判で終身刑の判決を受けて服役し、A級戦犯としては最も遅くまで拘留され1956年にようやく釈放されました。


〝口は災いの元〟〝覆水盆に返らず〟の格言通り、一度発した言葉は取り消せません。

興奮して怒鳴りたくなったら、「黙れ!」 の一言で10年近くも投獄された佐藤中佐の顔を思い出しましょう。冷や汗


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転 覆

東京五輪開催直後の1964年12月に開業し、1969年に現在の東京・中野駅~千葉県・西船橋駅間30.8kmの全線開通・営業を開始した、

 東京メトロ・東西線

その名の通り首都圏を東西に横断し、サラリーマンや学生が数多く利用する地下鉄・・・損保マンだった私も、日本橋にある本店勤務時代には何年か通勤で利用していました。


実はこの東西線、地下鉄とは言いながら全線の半分近く、約14kmが地上を走るという、他に類を見ない路線。

これは経路の地盤が軟弱なことと、建設当時はまだ用地買収が容易かつ地下を掘るより高架の方がコストが1/10だったことがその要因だったそうな。

この東西線を現在利用されている方の殆どがご存知ないと思いますが、今からちょうど40年前の今日・1978(昭和53)年2月28日・・・その地上を走っている時に脱線転覆事故が起きました。

事故地点は、南砂町駅~西葛西駅間に架かる、荒川中川橋梁。


    

全長1,236mで、事故当時は私鉄で最も長い鉄道橋でした。

ここを同日午後9時30分過ぎに中野行き快速列車(10両編成)が走行中、強風を受けて後部2両が脱線・転覆したのです。

夜遅い時間帯だったため乗客がそれほど多くなかったことと、橋の構造が両側に三角形状に鉄骨を組んだトラス構造で車両が川に転落しなかったため死者はなく、ケガ人23人だけで済んだことは不幸中の幸いでした。


    


当該事故に関し、当初一部のテレビ・新聞では、アルミ製の車輛が軽量だったが故に強風に煽られ転覆したと報じたようですが、これは誤報。

車輛はステンレス製で決して軽量ではなく、また当時営団地下鉄では地上の要所に風速計を設置し、風速15m/sで警告ブザーが鳴り、20m/sで運転を見合わせることになっていましたが、この時はブザーすら鳴りませんでした。

では、何故転覆したのか?

その原因は・・・なんと〝竜巻〟でした。

この事故が起きる10分ほど前、神奈川県川崎市から約30km離れた千葉県市川市に向かって幅3~500mの範囲内で約30分の時間内に突風により民家8戸が全壊し、60戸の屋根が飛ぶという被害がありました。

地図で見ると、事故現場の橋梁(赤矢印先)が、その時速80~100


kmで移動したと思わる竜巻のルート上にあることが分かります。

    

その後の調査で、
走行中の列車を竜巻が直撃する確率は50~100年に1回と計算され、不可抗力という結論になったとか。

まさに宝くじの1等賞に当たるかそれ以下の確率・・・ですが、当時に比べ熱帯化が進みゲリラ豪雨が頻発する首都圏では、竜巻が起きる確率は上がっているはず。

突発的に起きるため事前に回避することは殆ど不可能な事故ですが、

「乗用車ならともかく、何十人も乗ってる重い電車なら安全」

なんて甘い考えは、大自然の驚異には通用しないことを認識すべきでしょう。
うー



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