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倒 産

戦後最大・約5,200億円の負債を抱えたその倒産は、当然世間を騒がせる一大スキャンダルになるはずでした。

しかしその発表が、たまたま日航ジャンボ機墜落事故の翌日だったため全マスコミの目はそちらに向かい、それほど世間の注目を集めなかった気が・・・。


その日・1985(昭和60)年8月13日に会社更生法を申請したのは、

 三光汽船株式会社

しかし当時私の勤務していた損保会社は同社が大口取引先だったため、社内では墜落事故よりもこの倒産の話題でもちきりになった記憶があります。


1934(昭和9)年に大阪で創業された同社は当初船荷の仲介業務を主に行っていましたが、日中戦争勃発を契機に事業を拡大し、中型船の運航や買収、造船業にまで経営を広げます。

そして1963年には大手海運会社・ジャパンライン社の株買い占めなどで勇名を馳せましたが、1970・79年に起こったオイルショック以降の海運不況により、経営が悪化。

立て直すことが出来ず、会社更生法の申請に至りました。

(※但し同社はその後再度会社更生法の申請を行い、現在は再建し存続しています。)

しかしこの倒産劇は、自民党の有力政治家で滅多に笑わないことから〝笑わん殿下〟の異名を取った


 河本 敏夫 

の運命を少なからず変えてしまいました。 

何故なら、三光汽船を創業したのは彼と彼の義兄であり、同社の実質的なオーナーだったから。

       


1911年に現在の兵庫県相生市に生まれた彼は、旧制姫路高校をトップの成績で入学した秀才でありながら、反戦運動に身を投じて退学に。

その後日大法学部に進学し、在学中に三光海運(後の三光汽船)を創業して1937年には社長に就任。

12年後に行われた衆院選に旧兵庫4区から立候補し、当選。


当選同期には、池田勇人・佐藤栄作・前尾茂三郎・稲葉修各氏ら錚々たる名前が並び、彼自身も以後連続17回当選を重ねます。

1968年の第二次佐藤内閣に郵政大臣として初入閣し、以後通産大臣も務め三木派の重鎮として活躍。

鈴木善幸・中曽根康弘内閣でも閣僚を務め、何度か総裁候補として名前が上がりましたが、結局それを果たすことは出来なかったばかりか、この倒産の責任を取って沖縄開発庁長官を辞任。


1996年秋に引退を表明して三男に後継指名すると、5年後に89歳でこの世を去りました。

その河本氏に関して、田中角栄の元秘書・早坂茂三氏は著書でこう記しています。

          ◆     ◆     ◆     ◆

鈴木善幸総理がやる気を失くし、後継者に河本・中曽根の名前が取り沙汰された。 1982(昭和57)年10月のことである。

「オヤジさん、世間では河本の下馬評が高いけど、推すんですか?」

「いや、推さない。」

「(ロッキード事件で対峙する)三木の片割れだから?」

「違う。 オレはそれほど尻の穴は小さくない。


世間はまだ知らないが、河本のやってる三光汽船なぁ・・・あれが今、4,200億円からの負債を抱えているんだ。 1年半と保たない。 

自分の会社を潰すような男に国の舵取りは任せられない。」

「じゃあ、中曽根をやるんですか?」

「まぁ、ねぇ。」

親方が低く笑った。 その後、三光汽船は田中の予言通り潰れた。


          ◆     ◆     ◆     ◆

倒産の時期は予想と若干ズレたとはいえ、その3年前から情報を掴んでいたとは、さすが闇将軍・キングメーカーと言えましょうか。

あらためて角栄氏の凄みを感じますネ。

政治家が最高権力を掴むためには、実力以外にも時と運が必要のようです。


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