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炒 飯

料理人やコックさんといえば、昔は厨房で黙々と鍋や包丁を振るう裏方さんというイメージでしたが、今では頻繁にテレビに出演する方が大勢いらっしゃいます。

おそらくそのハシリと言えるのが、道場六三郎さんと

 周 富 徳 さん


ではないでしょうか?

今日はかつてお茶の間の人気者だったこの中華料理人の命日・一周忌にあたります。


周さんは在日中国人2世として、戦中の1943年に横浜中華街に生まれました。

武相高校卒業後中華料理の道に進み、新橋の『中華飯店』 → 『南園』(京王プラザホテル)で修業を積みます。

修業時代はかなり女性にモテたとか。

このあたり、後に親友となる道場六三郎さんと同じ・・・やはり一流の料理人は芸術家ともいえますから、艶がないと大成しないのかもしれません。


その後有名な 『聘珍樓』 や 『赤坂璃宮』 で総料理長を務めた後、1993年に 『広東名菜富徳』 のオーナーとして独立。

         


彼の名を世間に広めたのは、ちょうどその頃テレビ東京で放映されていた『浅草ヤング洋品店』という番組に出演したこと。


それ以前にNHKの『きょうの料理』にも出演していましたが、この『浅ヤン』はその名の通りファッションの紹介番組だったのに、なぜかそこに中華鍋を持った周さんが登場。


もしかしたら、独立したことで世間に名を売りたかったのかもしれませんが、軽妙な語り口と独特のキャラで人気を集めた周さんは、弟の周富輝さんや友人の金萬福さんらを巻き込んで中華大戦争という企画で大活躍。

知名度は一気に全国区になりました。


そして同番組の翌年にスタートした人気料理番組 『料理の鉄人』 にもチャレンジャーとして出演。

親友・道場六三郎さんと名勝負を繰り広げ、戦績は1勝1敗。

実は当初、両雄の対決は1回だけの予定だったとのこと。

しかし当時人気絶頂だった周さんが敗れたままではマズい・・・ということでリターンマッチが組まれ、道場さんが周さんに花を持たせたのだそうな。

プロレスでよくあるチャンピオン同志のタイトルマッチと同じく引き分けで双方の顔に傷をつけない〝仕込み〟ですが・・・まぁここは 「ヤラセだ!」 などと無粋なことは言いますまい。あせあせ


その後も店を増やしたり講演活動を行ったりと精力的に活動を続けていた周さんは、ダイエット中華の本も出版しましたが・・・その彼自身が糖尿病を患っていたのは、何とも皮肉。

そして昨年4月8日、誤嚥性肺炎により、71歳で天に召されたのです。

周さんの経営するお店には行ったことはありませんが、私にとっては炒飯の師匠ともいえる方でした。

それまでうまくパラパラにできなかったのが、周さんがテレビ番組で紹介した作り方でやったら、~ら不思議。

おかげで女王様からも 「あら、美味しいじゃない」 と合格点をいただ:き、ご機嫌が良くなったものです。

その後しばらくは、周さん直伝の卵と醤油とネギだけのシンプルなチャーハンが我が家の定番となりました。

今晩は久しぶりに中華鍋をふるいつつ、〝炎の料理人〟のご冥福を祈りたいと思います。笑3




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