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基 準

〝永田基準〟 という言葉、皆さんはご存知でしょうが?


これは刑法裁判で被告に死刑判決の可能性がある場合、よく引き合いに出される判断基準とされてきたもの。


これは、1968年10~11月にかけて起きたピストルによって連続4人を殺害した

 永山 則夫

の裁判で示されたものでした。


1949年に北海道網走市で8人兄弟の7番目として生まれた永山は、リンゴの剪定師だった父親が博打にのめり込んで家庭が崩壊したため、極貧の幼少時代を過ごします。


16歳で集団就職で上京。 真面目な働きぶりで会社から信頼されていたようですが、本籍が 『網走無番地』 だったために網走刑務所生まれとからかわれ、過去の窃盗歴もバレていたたまれなくなり退職。


その後、喫茶店のボーイをするなどして各地を転々。 


そして横須賀の米軍宿舎から盗んだピストルを使い東京・京都・函館・名古屋でガードマンやタクシー運転手ら4人を次々と射殺し、逮捕されたのです。


             


未成年による重大犯罪ということで裁判の成り行きが注目されましたが、一審(1979年)・ 死刑 → 二審(1981年)・ 無期懲役 → 最高裁(1983年)・ 高裁に差し戻しと判決は転々。


この最高裁の判決時に、


 1.事件の罪質

 2.動機

 3.事件の態様 (殺害手段の執拗性、残虐性)

 4.結果の重大性 (特に殺害された被害者の数)

 5.遺族の被害感情

 6.社会的影響

 7.被告の年齢

 8.前科

 9.事件後の情状


を総合的に考慮し、責任が極めて重大でやむを得ない場合に死刑も許される


という、その後の裁判において死刑判決を出す際の判断材料となった 〝永山基準〟が示されたのです。 


その後は高裁差し戻し審(1987年)・死刑、そして1990年に最高裁で上告が棄却され判決が確定。

そして死刑が執行されたのが、今からちょうど20年前の今日・1997(平成9年)8月1日のことでした。


永山被告は、第二審から自らの反省・謝罪の意を表わし、同時に自らの幼少期の家庭崩壊・不遇を争点にするなどしましたが、第二次最高裁では、

【家庭環境の劣悪さはで羽状に値するが、彼の兄弟は今日副犯罪を犯していない】


として、彼の主張を退けました。


(個人的には、この最高裁の判断は至極当然だと思います。)


在司法の流れは国民の8割以上が死刑存続を望み、厳罰化の傾向にありますが・・・皆さんは、この30年近く前に示された〝死刑判決基準〟、どう思われるでしょうか?


それにしても、19歳で逮捕されてから最高裁で死刑確定するまで実に22年。 更に48歳で死刑が執行されるまで7年。


彼の運命をもて遊ぶかのように30年近くも獄中で過ごさせた方が、死刑執行そのものより残酷だったように、私は感じるのですが・・・。うー


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