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短 編

おそらく彼の作品を読んだことがない、または名前を知らないという日本人は殆どいないでしょう。

なぜなら、有名な文学賞にその名が冠されていますから・・・。

今日は、その


 芥川 龍之介 

の命日・没後90周年にあたります。


       


龍之介(※本名同じ)は、1892(明治25)年に現在の東京都中央区明石町に牛乳製造販売業を営む新原敏三の長男として生まれました。

生後7ヶ月後に母親が精神異常をきたしたため、母の実家・芥川家に預けられ伯母に育てられた彼は、11歳の時に母が亡くなった後叔父の養子となり、芥川姓を名乗るように。


成績優秀だったため、府立第三中学校から無試験で第一高等学校に入学するほどの秀才だった彼は1913年、1年に数人しか合格できない超難関・東京帝国大学文化大学英文学科に進学。


そして大学在学中に一高で同期だった菊池寛・久米正雄らと同人誌 『新思潮』 を刊行、〝柳川隆之助〟のペンネームで処女小説 『老年』 を発表し、作家活動を開始。


1915年には本名の芥川龍之介の名で 『羅生門』 を発表。


更に翌年に発表した 『鼻』 が夏目漱石から高い評価を受けたことを契機に夏目門下入りした彼は、同年に大学卒業すると夏目の口利きで海軍機関学校の英語教師となり、その傍ら作家業を続けました。


1919年に結婚し、2年後に教職を辞して大阪毎日新聞社の客外社員となって、創作活動に専念。

この頃中国旅行をしたのですが、帰国後に神経衰弱や腸カタルを病むように。

1923年の関東大震災時には病をおして自警団に参加し、この年の前後に3人の息子(長男・比呂志は俳優、三男・也寸志は音楽家)が生まれ、1925年には文化学院の講師になるも、既往症に加えて胃潰瘍や不眠症も発症したため、療養生活に。

そして1927年4月に谷崎潤一郎と文学論争を繰り広げた彼は、自分の秘書だった女性と心中未遂事件を引き起こします。

それから間もなく、『続西方の人』 を書き上げた直後の同年7月24日・・・斉藤茂吉から手に入れた睡眠薬を大量に飲んで自殺。
(服用した薬には他説あり)

まだ35歳の若さでした。 その原因については

◆放火・保険金詐欺の容疑をかけられて自殺した義兄の影響
◆創作活動(長編小説)の限界
◆母親と同じ精神異常や持病に対する恐怖


などが取り沙汰されましたが、彼の遺書には2年前から自死を考えていたこと、また〝僕の将来に対する唯ぼんやりした不安〟という言葉が残されていたそうですから、内面的にはずっと苦しめられていたのでしょう。

その不安は、おそらくひとつだけではなかったとは思いますが・・・。

※自死から8年の後、親友で文藝春秋社主だった菊池寛が新人文学賞 『芥川(龍之介)賞』 を創設し、現在では最も有名な文学賞となりました。

冒頭、殆どの方が彼の作品を読んでいるはず、と申し上げたのは、小学校の教科書に掲載されているから。

私も小学校高学年の時に 『蜘蛛の糸』(1918年発表) を読んだことを憶えています。

昔クモを助けた主人公のカンダタに情けをかけた仏様が彼の頭上に一本のクモの糸を垂らして彼を救おうとしたものの、彼が後から登ってくる人々を蹴落とした瞬間、糸がプツッ・・・。

道徳の教材にできるような話だからなのか、それとも言いようのない無常感からなのか・・・何故か今でも忘れることが出来ません。

おそらくその時に書店で購入したのでしょう、書棚には彼の作品を集めた文庫が残っています。

       

残念ながら小説それぞれのストーリーについては憶えていませんが、なんとなく暗い内容だったことはうっすらと・・・。

今宵は40年以上ぶりにこの古本を読み返して彼の内面に触れつつ、あらためて〝短編小説の鬼才〟のご冥福をお祈り致します。

それにしても昔の文庫本って、字が小さい・・・。ダメだぁ顔


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