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 憾

「春の うららの 隅田川」 
「春高楼(こうろう)の花の宴(えん)  巡る盃(さかづき)影さして」

中高年の方なら、自然と歌える『春』と『荒城の月』の冒頭歌詞ですネ。

今日は、この名曲を生み出した日本を代表する作曲家


 瀧 廉太郎


の命日にあたります。


       


廉太郎は1879(明治12)年、江戸時代に日出藩(現在の大分県)の家老職を務めた上級藩士の家系を受け継いだ瀧家の、内務官僚として大久保利通・伊藤博文に仕えた瀧吉弘の長男として、現在の東京都港区西新橋に生まれました。

父親の転勤に伴い1886年に神奈川県師範学校付属小学校に入学した彼は富山県、東京都と転校し、1890年に麹町尋常小学校を卒業。

それと同時に15歳で東京音楽学校(現・東京藝大)に入学します。

本科から研究科へと進む間にピアノと作曲の腕を磨いた彼は1900(明治33)年に冒頭の 『花』 や 『荒城の月』 を作曲。

それまで外国語を無理やり翻訳して嵌め込んだ〝翻訳唱歌〟ばかりだった故に、日本語に日本人が曲を付けた廉太郎の作品は、人々に大いに歓迎されたといいます。

そして翌1901年に、廉太郎は日本人音楽家として2人目(※1人目は女流ピアニストの幸田幸)となるヨーロッパ留学生としてドイツ・ベルリンへ。

ところが渡欧後わずか5ヶ月後に、彼は肺結核を発病。
現地で入院するも病状は回復せず、1902年7月にドイツを発ち、10月に横浜に到着。

父親の故郷・大分で療養を続けましたが、その甲斐なく・・・今から114年前の今日・1903(明治36)年6月29日に23歳の若さで天に召されてしまいました。

死因が結核だったため、彼の作品の多くは焼却されたそうで、現在彼の作曲作品として確認されているのは、僅か34曲だそうです。


      
        『滝 廉太郎』 (海老沢 敏・著 岩波新書・刊)


さて、ここで彼に関するちょっとおぞましい話をご紹介します。

皆さんは、この歌をご存じですょネ。

「ぽっぽっぽ 鳩ぽっぽ 豆がほしいか そらやるぞ。
                みんなでなかよく 食べに来い。」

廉太郎は1901年に 『鳩ぽっぽ』 という曲を発表していますので、この曲も・・・と思ってしまいがちですが、実は私たちがよく知っているこの歌は、1911年に文部省が尋常小学唱歌として教科書に掲載した 『鳩』 (※1941年に『ハトポッポ』と改称) という、別の歌。

でもこの曲、廉太郎作品と酷似しているんです。

しかも 『鳩』 の方は、作詞・作曲不詳。

教科書に掲載するのは如何か、と思われる作品。


実はお馴染みの 『雪やこんこん』 も、同じ現象が・・・。

自らが選んだ翻訳唱歌より、廉太郎の作品に人気が集まったことを文部省がやっかみ、留学という名目で彼をヨーロッパに追いやって結核に罹患させ、そして死後にその作品を焼却させた・・・という筋書きは、決して突飛なものとは思えません。

しかも廉太郎が亡くなって 「パクリだ!」 と抗議できなくなってから、彼の作品とそっくりな作詞作曲不詳の歌曲を教科書に載せるところが、いかにも小賢しい木っ端役人の手口。

なぜそんなことをご紹介するか? というと、ひとつの根拠があるからなのです。
それは、彼が生前最後に残したピアノ曲の題名が〝憾(うらみ)〟だから。

この〝憾〟とは、「心残り、未練、無念」 を表す言葉だそうですが、彼が誰を、あるいは何を憾んでこの曲を書いたのか?


・・・後は皆さんのご想像にお任せします。

その心情に思いを馳せつつ、我が国の西洋音楽の黎明期を支えた若き作曲家のご冥福をお祈り致します。笑3


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