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愛 人

今日はスウェーデンの貴族であり、同国のグスタフ3世・4世に仕えた


 ハンス・アクセル・フォン・フェルセン

       Hans Axel von Fersen


の命日にあたります。

「えっ、それ誰?」 と思う方も多いでしょうが、『ベルサイユのばら』 の読者なら、〝フェルゼン〟という名で登場している人物なのでピンとくるはず。

実は彼、
フランス革命により最期はギロチン台で処刑された王妃マリー・アントワネットの愛人だったのです。


         


彼は1755年に、スウェーデンの貴族で王室顧問を務めていたフレデリック・アクセル・フォン・フェルゼンの子として生まれました。

父親がフランスを第二の故郷として愛し、フランス語を話していたという家庭環境で育ち、容姿端麗・高身長・貴族出身と3拍子揃ったフェルゼンは、18歳の時にフランス社交界にデビューするやたちまち上流階級のご婦人方のハートを鷲掴み。

そして1774年1月、仮面舞踏会で、既にルイ・オーギュスト(後のルイ16世)と結婚していたマリー・アントワネットと運命の出会いが。

偶然にも同い年であったことから2人の関係は親密になっていきます。


この交際にはスウェーデンの国益を考えたグスタフ3世の意図が反映していたともいわれていますが、彼女に対するフェルゼンの愛情は深まるばかり。


        

しかしルイ15世の死去により1774年5月にルイ16世が即位しマリーが王妃になると、彼は一旦帰国。


4年後にフランスに戻り、アメリカ独立戦争に従軍した後にフランス王室スウェーデン人連隊長に任命され、1788年には第一次ロシア・スウェーデン戦争にも従軍。

その間いくつもの結婚話が持ち上がりましたが、彼はその全てを断り、マリーに対して一途な想いを持ち続けたといいます。

彼女が1785年に産んだ次男ルイ・シャルル(後のルイ17世)の父親がフェルゼンであるという説は根強く、実際ルイ16世もそれを疑っていたようですし、フェルゼン自身も

「あの子はフランスに残してきた最後の、そしてたったひとつの心配事だった」

と言い残しています。


そしてフランス革命し情勢か悪化すると、フェルセンは日本円で120億円もの資金を注ぎ込んでルイ16世一家を革命勢力の手から逃がす計画を練り、1791年6月20日に実行(ヴァレンヌ事件)。

しかしこの逃亡計画は失敗に終わり、王室一家はパリに連れ戻されてしまいます。

それでも諦め切れないフェルセンは、彼らが幽閉されているテュイルリー宮殿に忍び込み再び脱走を進言するも、ルイ16世はそれを拒否。

結局ルイ16世と王妃はギロチン台の露と消えました。

最愛の人を殺した民衆を憎むようになったフェルセンは、人が変わったように暗くなったとか。

そして暗殺されたグスタフ3世の後を引き継いだグスタフ4世から外交顧問に任命された彼は、1799年元帥に昇進。

しかし民衆を憎む彼の為政は強権的であり、それがまた国民の恨みを買うという悪循環に陥ってしまいます。

1809年にグスタフ4世がクーデターによって退位した後も臨時政府に加わったものの、後任のカール13世の王太子が事故死したことに関して国民からは彼が首謀して暗殺したと疑われます。


そして1810年6月20日、王太子の葬儀執行をカール13世から命じられたフェルゼンが馬車に乗って式場の広場に出てきたところを群衆が取り囲み、投石。

逃げようとするも群衆につかまり、殴られ、惨殺されました。

その間、現場にいた近衛兵らはフェルゼンを守ろうとせず、丸裸にされた彼の遺体は側溝に投げ入れられるという無残な最期を遂げたとか。

道ならぬ恋が、彼の人生を狂わせた・・・マリーを救うべく脱出作戦を決行した日と同じ6月20日に殺された彼の心中は、いかばかりだったのでしょうか? うー


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