FC2ブログ
特攻崩れ

中高年世代の方なら、よくご存じ・・・今日は、昭和を代表する映画スターにして、歌手としても多くのヒット曲を世に出した

 鶴田 浩二 さん


の命日・・・早いもので、没後30周年にあたります。


       


鶴田(本名:小野 榮一)さんは、1924(大正13)年に兵庫県西宮市に生まれました。


しかし当時両親は結婚しておらず、母親が彼を連れて静岡県浜松市に移り住み別の男性と入籍したため、彼の本籍は浜松におかれるという、複雑な家庭に育ちました。

博打好きの義父と、水商売に忙しい母は相手をしてくれず、目が不自由な祖母と洗面器でご飯を炊くような極貧の幼少時代を過ごした彼は、俳優になることに憧れ14歳の時にその頃時代劇のスターだった高田浩吉の劇団に入団。
(芸名:鶴田浩二は、彼の名が由来になっています。)


しかし19歳の時に徴兵され、終戦まで海軍航空隊に所属。

22歳の時に薬の副作用で左耳が難聴になってしまったのですが、これが鶴田さんが歌う時に左手を左耳にあてがう独特のスタイルにつながりました。

        


1948(昭和23)年に高田浩吉らの尽力で松竹入り。

当初はいわゆる大部屋に入れられ端役出演が続きますが、長谷川一夫主演の 『遊侠の群れ』 で本格的なデビューを果たすと、1949年には 『フランチェスカの鐘』 で初主演。


軍人・殺し屋・ヤクザからサラリーマンまで幅広くこなした彼は、佐田啓二さん・高橋貞二さんらと松竹の〝青春三羽烏〟といわれヒットを連発、雑誌の人気投票で断トツの1位に。

1952年には独立して 『新生プロ』 を興し、岸恵子さんと共演。


2人は後に〝世紀の恋〟といわれたロマンスが囁かれましたが、岸さんの所属する松竹は2人の交際を許さず、それを苦に鶴田さんは自殺未遂事件を起こします。

また翌年には大阪でヤクザに襲撃されるというショッキングな事件も。


(この事件を機に、山口組・三代目の田岡組長と親交を深めたそうですが、同時に山口組が芸能界に深く関わりを持つキッカケになったとか。)


それでも彼の人気は衰えず、また1963年の 『人生劇場 飛車角』 の大ヒットから任侠映画での新境地も開拓。

また1970(昭和45)年にリリースされた 『傷だらけの人生』 は、同名の映画も制作されるほど大ヒット。

私も損保の営業マン時代は、お客さんのリクエストで左手を耳に当てながらよく歌ったものです。


松方弘樹さんや梅宮辰夫さんらの面倒も見たという彼がガンに侵されたのは、1985(昭和60)年のこと。

翌年に体調不良をおして主演したNHKドラマ 『シャツの店』 が結果的に遺作となり、鶴田さんは1987年6月16日に62歳で天に召されました。


個人的に鶴田さんの出演作品で最も印象に残るのは、1976~82年にNHKで放送されたTVドラマ 『男たちの旅路』 で主役として演じたガードマン役。

        


戦争経験のある主役と、戦後世代の若い部下たちとの人間関係を描いたこのドラマは、欠かさず観てました。

ドラマの中で鶴田さんが戦争経験を語るシーンは、まさに迫真の演技。

それもそのはず、実際彼は大井海軍航空隊の整備課に所属した予備士官として、出撃する特攻機を整備し見送っていたのですから・・・。

演じた役柄から自らが特攻隊員の生き残り(特攻崩れ)のようなイメージを持たれてしまい、戦友会から抗議を受けたこともあったとか。

しかし鶴田さんは一切言い訳をせず、日本遺族会に巨額の寄付をしたり、戦没者の遺骨収集に尽力・・・これには戦友会の面々も心を動かされたのだそうな。

だから鶴田さんの葬儀の際には多くの戦友や元特攻隊員が駆けつけ、旧海軍の第二種軍装を着せて棺を旭日旗で包み、葬送ラッパで見送ったのでしょう。

男たちの旅路・・・というより、男の生きざまを見せられた気がします。

あらためて、戦中派の大スターのご冥福を祈り、敬礼!扇子

              人気ブログランキング

スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック