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毒 婦

昔は男性に比較して少なかったからなのか、女性の犯罪はとかく演芸や演劇のネタにされやすかったのですが、今からちょうど130年前の今日人を殺めた

 花井お梅


という女性も、その一人でした。


彼女は1863(元治元)年に佐倉藩の下級武士・花井専之助の娘として生まれましたが、9歳の時に養女として売られ、15歳で柳橋の芸姑に。

売れっ子になった彼女は18歳の時に新橋に移り、「豊臣秀吉のように大成しよう」という意気込みで 『秀吉』 と名乗ったそうな。

そして20歳の時には置屋から独立するほどの人気者に。


            


写真の通り気風が良さげな美人ではあるものの、気の強そうな眼をしていた彼女・・・実際、勝ち気でヒステリックだったそうな

当時来日していたドイツ人医師・ベルツがたまたま彼女を座敷で見かけ、そのふるまいから


「人殺しでもしかねない女だ」


と言ったそうですが、それが見事(?)に的中してしまいます。


某銀行の頭取に面倒をみてもらいながら、歌舞伎役者の四代目・沢村源之助に惚れていた彼女は、ある時着物を源之助にプレゼント。

しかし彼はそれを他の芸者にあげてしまいます。

その事を源之助の付き人・峯吉がお梅に喋ってしまったから大変。

激高した彼女は刃物を手に源之助宅に乱入。

幸い警察沙汰にはならなかったものの、これで源之助との関係は終わり、またチクッた峯吉もクビに。

その峯吉を、お梅は不憫に思ってか雇ったのですが・・・これが間違いの元でした。

おそらく峯吉の口の軽さが災いしたのでしょうが、今からちょうど130年前の今日・1887(明治20)年6月9日・・・お梅は峯吉を刺殺してしまいます。


父親に連れられて自首しましたが、美人芸者の殺人事件は恰好のマスコミネタとなり、殺人の動機などを含め様々な憶測記事が新聞紙上などに飛び交い、彼女はすっかり〝毒婦〟扱い。

裁判の結果無期徒刑を言い渡された彼女は収監されましたが、服役中の動静も新聞に書かれたために、彼女に対する世間の関心は冷めることはありませんでした。

15年服役して1903(明治36)年に特赦で釈放された際、野次馬が群がったためひっそりと裏口から出たお梅は、当時40歳。

汁粉屋や洋食屋を開くものの、客は彼女見たさの冷やかしばかりで長続きせず。

行き詰まった彼女は開き直ったのか、1905(明治38)年には何と自ら峯吉殺しを芝居にして旅回りをしたことも。

そして結局は新橋の芸妓に戻り、それから半年後の1916(大正5)年12月、肺炎を患い53歳でこの世を去りました。

最期を看取ったのは、皮肉にもかつて自分がプレゼントした着物を四代目
・沢村源之助から譲り受けた芸者・喜代次だったそうな。

彼女を含め、過去に世間をにぎわせた女性を題材にした本がありますので、興味のある方はご一読を。

 『毒婦伝』 (朝倉喬司・著 中公文庫・刊)


       


いろいろな見方があると思いますが、少なくとも私にはこのお梅が〝毒婦〟だとは思えません。

美人芸者が人を殺めたことで今で言うなら恰好の芸能ネタにされ、以後生涯を通じて人目に晒され続けた〝哀女〟と言うべきかと。

皆さんの見立ては、如何に?


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