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転 向

私がTVでその演奏に触れた機会が最も多かった日本人ピアニストといえば、おそらくこの方でしょう。


今日は、そのピアニスト・・・というよりマルチタレント、あるいはエンターテイナーと言うべきかもしれない


 羽田 健太郎 さん


の命日・没後10周年にあたります。


1949年に東京都で生まれ、1歳で銀行員だった父親を亡くし母親と祖父に育てられたという羽田さんの音楽との出会いはは、4歳の時に東京少年少女合唱隊に入れられたことでした。


その後ピアノを習い始めますが、それは普通の子供たちと同じ・・・いわゆる町のピアノ教室に通う程度。


(プロの演奏家としては、完全な遅咲きといえる)中学2年の時に、桐朋学園助教授だった有賀和子先生に師事して本格的な音楽家への道を目指し始めた羽田さんは、桐朋高校入学後に母親が買ってくれたグランドピアノで1日12時間もの猛練習をこなしたとか。 

           

桐朋学園大学在学中、内緒でホテルラウンジのピアノ演奏アルバイトをしたことで本番実演の経験を積んだ彼は桐朋音楽賞を授与されるまでに腕前を上げ、同大を首席で卒業。


しかし苦労して育ててくれた母親に早く恩返しをするため、羽田氏は敢えてクラシックではなく軽音楽の道を選びます。


最高レベルの演奏技術を持つ彼はスタジオ・ミュージシャンとして非常に重宝がられ、「金はいらないから休みが欲しい」 ほどの売れっ子に。


名前が売れ始めた羽田さんに、30代半ばから逆にクラシック界からのオファーが入るようになり、結果的に広いジャンルでの活躍ができるようになりました。


『タモリの音楽は世界だ!』 などの音楽バラエティー番組や、 『題名のない音楽会21』 の司会等で活躍。

特に 『
ニュースステーション』 では富士山山頂や自然豊かな森林、夜桜など映像と音楽を調和させる演出の中で自作のピアノ曲の演奏を行い、一気に知名度が上昇。


パンダ(失礼!)のような愛嬌の良さと流暢なトーク、そして確かな演奏で多くの音楽ファンを楽しませてくれました。


40歳代以降ますます精力的に仕事に取り組み、50歳代で更に飛躍するはずだった彼でしたが、体調を崩しコンサートや番組出演のキャンセルをするようになります。


その原因は・・・〝酒〟でした。うー


仕事のストレスからなのか、はたまた遺伝体質だったのかは分かりませんが、羽田さんの飲酒量は相当なものだったようです。


2007年4月にレギュラー番組を降板して療養に専念したものの、同年6月2日・・・肝細胞癌で58歳の人生に幕を下ろしました。


音楽家としてまだこれから、という時だけに残念でなりません。


ピアニストであるばかりでなく、 『復活の日』 や、『渡る世間は鬼ばかり』 、『西部警察』 等々、多くの映画・TVドラマの音楽の作曲・演奏などに足跡を残した〝遅咲きの音楽家〟のご冥福をお祈りしつつ、日本最高の演奏家と協演した『交響曲 宇宙戦艦ヤマト』をお聴きください。




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