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日本一

我が国のゴルフ界に於いて最も権威があり、プロなら一度は優勝を、アマなら一度は出場を夢見るトーナメントといえば、

 日本オープンゴルフ選手権競技

現在は毎年10月に開催されているこの大会の第一回が開催されたのが、今からちょうど90年前の今日・1927(昭和2)年5月28日のことでした。

アマ12名・プロ5名が参加して神奈川県の名門・程ヶ谷カントリークラブ(6,170ヤード・パー72)で1日36ホール、翌29日と2日間・計72ホールのストロークブレーで行われ、同クラブ所属のアマ・赤星六郎選手が通算21オーバーの309ストロークで、2位に10ストロークの大差をつけて優勝しました。

※程ヶ谷CCの設計は六郎選手の実兄・赤星四郎氏が手掛けており、本人もこの第一回大会に参加し4位に入っています。

賞金は優勝が300円、準優勝が150円、3位が100円だったとか。

当時の公務員初任給が50円だったそうですから、プロにとっては魅力的な金額だったでしょう。

ただ、優勝者の赤星選手はアマチュアでしたから、賞金はもらえなかったはずでずか・・・。


        
    
 
左写真及び右写真の左側が赤星選手ですが、かなり立派な体格の持ち主だったようですネ。


この赤星選手はプリンストン大学に留学経験があり、しかも1924年にはパインハーストゴルフクラブのスプリングトーナメントに優勝した、当時の第一人者。

日本人プロを教えていた人物であり、その後兄の四郎氏と共に我孫子ゴルフ倶楽部の設計もした日本ゴルフ界の貢献者ですから、勝って当然だったともいえます。

その後1942~49年まで戦争のため中止された以外は、毎年開催されているこの大会は、様々なドラマを生み出してきました。

その方の年代によって印象に残る場面は違うと思いますが、昭和世代の私にとって忘れられないのは、戦後最多・5勝を挙げたジャンボ尾崎選手が1988・89年と連覇した時のプレー。



まずは、東京ゴルフ倶楽部で開催された1988年大会。

同クラブでは大会前にグリーン芝の養生に失敗し、砂を入れてローラーをかけるという劣悪な状況の中で行われました。

最終組で回るジャンボは、青木・中島両選手を1打差でリード。

最終ホールの1mのパーパットを決めれば優勝と言う場面。
(※その場面は11分過ぎから)



グリーンが荒れていたこともあったのでしょうが、ジャンボがアドレスを2度も解いて手のシビレを振り払う仕草をするのを初めて観ました。

ジャンボも人の子・・・と思ったものですが、実はこれが彼のイップスの始まりだったんだそうですねェ。

そして劇的だったのが、名古屋の名門・名古屋ゴルフ倶楽部・和合コースで行われた翌1989年の第54回大会。

今度は首位B・ジョーンズに一打リードされた17番パー3で、左奥のバンカーに入れてしまう絶体絶命のピンチ。

しかしそこからチップイン・バーディーのミラクルショット! 
(※その場面は2分過ぎから)


生中継を観ていた私は、カップにボールが吸い込まれた瞬間に鳥肌が立ったのをはっきり憶えています。

最終ホールでジョーンズ選手が第2打をOBで万事休す。

試合の流れがたった1打で変わるゴルフの面白さと怖さを見せつけられました。


今年の第82回大会は、10月12~15日まで岐阜関カントリー倶楽部・東コースで開催されます。

一体どんなドラマやミラクル・ショットが飛び出すか、今から楽しみです。笑2



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