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H・J

世界的には現在でもしばしば起きているハイジャック事件。

この卑劣な犯罪が日本国内で初めて起きたのは、今から45年前の今日・1970(昭和45)年3月31日のことでした。 
世に言う、


 よど号事件


が、それです。

同日午前7時33分。 羽田空港発~板付空港(現・福岡空港)行きのボーインク727・日本航空351便 『よど号』 が離陸後、富士山上空で過激派グループ・赤軍派メンバー9名によってハイジャックされました。


これに先立つ3月15日、公安警察は同派議長・塩見孝也を逮捕し、その際 『H・J』 と書かれたメモを押収していたものの、それが 『ハイジャック』 の略語であることは分りませんでした。


なぜなら当時、日本国内にはそんな単語は知られていなかったから。


実行犯グループは、北朝鮮への入国を民間機乗っ取りによって果たすべくハイジャックを企てましたが、数日前に飛行機搭乗手続きに時間がかかることを知らずに数名が遅刻し、この日に再決行。 



また空港側も金属探知器を使ったボディチェックなどは全くしておらず、犯人らは易々と凶器を機内に持ち込めたという・・・今からは考えられない出来事でした。


(※ただし、犯人たちが持ち込んだ日本刀・拳銃・爆弾などは、全て玩具や模造品であったことが後に判明。)


給油のため板付空港に着陸、ここで女性・子供ら23名を解放。 

更に北朝鮮に向かったと見せかけて韓国・金浦空港に着陸するも犯人に偽装工作を見破られ、運輸政務次官・山村新次郎氏が交渉の末乗客の身代わりとなって搭乗し、よど号は北朝鮮へと向かいます。


人質となった乗客の中には、後に地下鉄サリン事件の際に迅速な決断を行なって多くの被害者の命を救った聖路加病院の日野原重明医師もいらっしゃいました。

また人質になった乗客の中には、この7年後に起きたダッカ日航機ハイジャック事件の際にも人質になってしまった方もいるとか。ダメだぁ顔

逆に搭乗券を予約していながら前日深酒したおかげで乗り遅れ、難を逃れた舛添要一・現東京都知事も・・・まさに人生いろいろです。

           

  
        <模造刀を手にした犯人の前を通って解放される乗客>


4月2日午後7時21分、同機は暗闇の中を平壌郊外にある美林飛行場跡地に目視で着陸。 


外交交渉の末、犯人グループ9名全員は亡命が認められて北朝鮮に留まり、機長ら乗務員3名と山村次官は5日に同機に搭乗して帰国・・・事件は一応決着したのです。


この事件から僅か2ヶ月後に、我が国はハイジャック防止法をスピード制定。 

そして一旦は英雄視された石田機長は、その後プライベート上のトラブルをマスコミに書き立てられ、本来ならば事件翌日から国際線機長になる予定だったにもかかわらず日航を退社する羽目になり、その後も過酷な人生を歩むことに。


また一般乗客の身代わりとして人質となった山村次官は国民的ヒーローとなり、大臣も務めました。 

そして、「我々は〝明日のジョー〟である」 という迷言(?)を吐いた犯人グループの多くは日本人妻と結婚していますが、その経緯ははっきりしておらず。


そればかりか、北朝鮮による日本人拉致事件に彼女らが関与しているという証言も・・・。


関係者の人生を大きく変えることになった、日本初のハイジャック事件・・・犯人の一部は既に鬼籍に入り、事件そのものが風化しつつある今も、日本国民にとっては完全に解決・終結はしていないのです。 うー


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