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良 心

好景気の頃と比べ、現在ではその発言権・影響力が落ちたといわれる、日本経済団体連合会・・・いわゆる、経団連。


歴代の会長職には何人もの重鎮が就きましたが、その中でも〝日本財界の良心〟といわれ尊敬を集めた人格者がいらっしゃいました。 今日は、その

 平岩 外四 

の命日・没後10周年にあたります。


1914(大正3)年に愛知県常滑市で生まれ、後に財界のトップに立った平岩氏ですが、その前半生は実に過酷なものでした。


彼が6歳の時に町役場の収入役をしていた父親が亡くなり、母親の手で育てられた彼は聡明な子供でした。

生活苦を理由に親族から進学を反対されながらも、彼の才能を信じた母親がそれを押し切って旧制第八高等学校に進学させ、更に東京帝大・法学部へ。

1939(昭和14)年に卒業御、東京電灯(現・東京電力)に就職。

わざわざ民間会社に就職したのは、役人より給与が高く家に仕送りができるのが理由だったとか。


しかし間もなく大東亜戦争が始まると、彼も陸軍に召集されニューギニアへ。

熱帯の過酷な戦場で敗走を余儀なくされた兵士たちは飢餓と熱病に苦しめられ、彼のいた部隊107名の内、生存者は僅か7名。

その中の1人として母国に帰ることができた平岩氏は、もしかしたら神様に選ばれし人だったのかもしれません。


復員後、会社に戻った彼にとって幸運だったのは、後に東京電力の社長となり〝東電中興の祖〟といわれ、経済同友会の代表幹事も務めた木川田一隆氏に目をかけられたこと。

そのキッカケは復職して1年後秘書課に配属された際、当時常務だった木川田氏が秘書室で電気料金の体系に関する本を読んで勉強している平岩氏の姿を見て褒めたこと。


日々の努力を、見る人はちゃんと見ているってことですネ。

平岩氏自身、その木川田氏を 「経営についても人生についても終生の師」 と仰ぎ仕え、彼の引きによって1971年に同社常務、1974年に副社長、そして遂に1976(昭和51)年に社長に就任。

そして8年務めた後に会長、1993年相談役に退きました。

       

しかし彼の名が世間に知られたのは、やはり財界活動。

1978年の社長在任時から経団連の副会長に就任した彼は、早くから将来の会長と嘱望されていました。

その人気ぶりは、1986年に新日本製鐵会長の斎藤英四郎氏に会長の座を先に譲る形になった際、その無欲さが賞賛されたと同時に彼のシンパから不満が出たことでも伺えます。

そして彼が会長に就任した1990(平成2)年から1期4年務めた後一旦名誉会長に退き2002年まで在職。

2006(平成18)年に、再び名誉会長に復帰。

会長在任時はベルリンの壁崩壊やバブル崩壊や、また券金融スキャンダルが起きた財界にとって受難の時代。

しかし平岩氏は輸出入に関すネる緊急提言を行ったり、経団連企業行動憲章を制定し企業モラルの確立を図るなど、積極的に活動。

また1993年には政・財・官の癒着構造を断ち切るため、戦後38年続いた自民党への政治献金の斡旋を廃止するという、画期的というか歴史的な決断を下しました。

1980年の電気料金大幅値上げの際は、電気事業連合会会長として時の大平総理や田中角栄氏らとサシで交渉し認めさせた胆力は、戦争時に九死に一生を得た死生観の為せる業だったのかもしれません。

〝財界の良心〟とまで言われた平岩氏の温厚な性格や豊かな知識の源泉は、読書でした。

学生時代から晩年まで、論語などの古典や名著、文芸作品から少年ジャンプ(!)まで毎月5,60冊を読み続け、自宅の蔵書は実に3万冊以上だったそうですから、まさに〝平岩図書館〟。

その膨大な読書量に培われた知識・教養は、他の追随を許しませんでした。

そんな平岩氏の名言が、こちらの本で味わえます。

 『人間 平岩外四の魅力』 (大野 誠治・著 中経出版・刊)


          


平岩氏の人生を顧みると、やはり人の上に立つ者には、徳と教養が求められる・・・と、つくづく思います。

また彼が木川田氏に引き上げられたと前述しましたが、目をかけた平岩氏を如何に厳しく鍛えたかを窺い知ることができます。


そんな同書の中で、印象深い平岩氏の言葉をひとつご紹介すると、

【企業も人生も、負けたら絶対にダメだが、6対4で勝つのが一番良い】

「喧嘩ならパーフェクトに勝てれば気持ちがいいものだが、相手がもう2度と立ち上がれないくらい完膚なきまで叩きのめすのは、その時は良くても相手には怨みが残る。

そういうやり方は良くない。

怨みが残らないような勝ち方が一番良いのだが、それは6対4で勝つこと・・・できれば勝ったのか負けたのか分からない、相手が負けたと思わないくらいの勝ち方が理想だ。」


なるほど、生臭い財界の中で平岩氏に敵がいないのは、こういう考え方だからなのでしょう。

でもご本人は勝ち負けがハッキリするボクシングが大好きっだったってのが面白いですが。

昨今増えてきた 「短期間に稼げばそれで良い」 という若い経営者に、平岩氏ならどうアドバイスするのか? ちょっと聞いてみたい気がします。

同書を再びめくりつつ、亡くなる1週間ほど前に 「お先に逝かせていただきますょ」 と言って、2007年5月22日に92歳で大往生を遂げた、偉大なる財界人のご冥福をお祈り致します。


 


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