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問答無用

5月15日といえば、社会や歴史の授業で

 五・一五事件


を教わった記憶が蘇る方が多いことでしょう。

しかし、85年前の今日起きたこの事件が具体的にどんなものだったのかは、あまりご存じない方が多いかもしれません。


簡単に言えば、海軍の青年将校が総理官邸に乱入し、時の犬養毅・内閣総理大臣(当時76歳)を殺害したテロ事件でした。

大正デモクラシーと呼ばれる民主主義機運が高まり、一般市民の間には軍人に対する風当たりが強く、彼らは肩身の狭い思いをしていたとか。

そして1929(昭和4)年に起きた世界大恐慌の煽りを受けて、日本でも倒産が相次ぎ社会不安が増す中、1930年に屈辱的なロンドン軍縮条約を締結した若槻禮次郎内閣の後を引き受けたのが犬養首相でした。

彼は元々軍縮推進派であり、さらに孫文が親友であったことから軍部の満州進出を快く思っておらず、その点でも1931年に満州事変を引き起こした軍部とは対立関係にありました。

そこで古賀清志・海軍中尉が橘孝三郎が主宰する愛郷塾の塾生を農民決死隊として組織し、予備役だった西田悦少尉を説得して11名の士官候補生も引き入れます。

そして1932(昭和7)年5月15日午後5時過ぎ、5班に分かれた部隊は首相官邸・日本銀行・内大臣官邸・三菱銀行・立憲政友会本部・変電所を襲撃。

当日は日曜日で、官邸で静養していた犬養首相が、

まあ待て。 話せばわかる。 話せばわかるじゃないか。」

と話し合いを試みるも、頭に血が登っている将校の耳には届くはずもなく、

「問答要らぬ。撃て、撃て!」 
(※俗に 『問答無用』 と言われている部分)


と言いつつ、複数の銃弾を浴びせました。

       

しばらく息のあった犬養首相は、

「今の若い者をもう一度呼んで来い、よく話して聞かせる。」

と強い口調で女中に語ったそうですが、程なく絶命。

首相の暗殺は遂げたものの、その他の襲撃は軽微なものに止まり、犯行グループの多くは午後6時過ぎに東京憲兵隊本部に自首。

警察が1万人を動員して警戒に当たりましたが、反乱将校が都下に戒厳令を敷いて軍事政権誕生を目指した割には大きな混乱になりませんでした。

しかし彼ら犯行グループに対して行われた裁判では、政党政治に不満を持つ国民から除名嘆願運動が巻き起こったそうな。

そのためか、将校たちに対する判決は禁固刑や執行猶予がつけられるなど軽微なものとなり、程なく軍に復帰。

この軽い処分が、その3年半後に起きた 『二・二六事件』 の伏線になったともいわれています。

同事件の首謀者の一人で銃殺刑に処せられた磯部浅一が、自分たちの処分に関して楽観視していたことからも、それが伺えます。

五・一五事件そのものは首相暗殺に留まりましたが、日本の歴史には少なからず影響を及ぼした、と言えましょう。



余談ですが、当時喜劇王・チャップリンが来日しており、本来ならこの日犬養首相と懇談する予定でした。

しかし彼がなぜか急遽予定を変更して相撲観戦に行ったことで、難を逃れたそうな。

犯行グループ内では退廃的な文化を流す元凶として暗殺のターゲットにしていたそうですから、予定通り官邸に行っていたら容易ならざる事態になっていたはず。

もし彼が暗殺されたら、即世界大戦になっていた・・・かも? うー


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