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流 刑

私ら夫婦が新婚旅行に行き、リタイア後は暮らしてもいいかナ~・・・と思っている、オーストラリア。

元々アボリジニが暮らしていたこの大陸にヨーロッパ人として初めてポルトガル人が探検したのが1520年代。


しかし香辛料など大した産物が見つからず、注目されることはなかったとか。

そして1600年代に入ってスペイン人トレスによってオーストラリアとパプア・ニューギニア間の〝トレス海峡〟が発見され、1688年にはイギリス人探検家ウィリアム・ダンビアが北西部に上陸。

更に1770年にはキャプテン・クックが東海岸に上陸し、イギリス領であることを宣言。

そしてその後1775~1783年に渡って起きた独立戦争に敗れたイギリスは、それまで罪人の流刑地だったアメリカを失ったため、新たな流刑地として白羽の矢を立てたのが、オーストラリアだったのです。

イギリス本国からオーストラリアに向けて初めて囚人1、000名余りを乗せた11隻からなる船団が出航したのが、今から230年前の今日・1787年5月13日のことでした。

その船団を率いたのが、

 アーサー・フィリップ (1738-1814)

      Arthur Phillip


という軍人。

       

ドイツ人の父とイギリス人の母の間にロンドンで生まれた彼は、15歳で海軍に入隊し七年戦争に参加。

同戦争終結後一旦現役を解かれ、ハンプシャーに牧場を買いますが、その後スペインとの戦争に参戦するためポルトガル軍に入隊した、生粋の軍人。

その彼が、ポルトガル軍に在籍していた1774年にブラジルへの囚人輸送艦の艦長をした経験を買われ、流刑地ニュー・サウス・ウェールズ州の初代総督として白羽の矢が立ったのです。

       

しかし大量の囚人を未開の地に運ぶという過酷な任務に、船員を集めるだけでも一苦労。

シリウス号に船長として乗組んだ彼は、8ヶ月余りの航海を経てシドニー湾に辿り着きました。

※最初の船が到着した1月26日は、現在 “Australia Day ”という祝日になっています。

       

                   HMS Sirius

そして到着した後も、彼の苦労は絶えませんでした。

食糧が不足していた上に、連れてきた囚人は殆ど農業に関する追記が無く、彼らは殆ど飢餓状態に。

更に囚人の荷物を盗んだ他船の船長を罰するなど、囚人たちとの人間関係構築に腐心したようです。

更にそんな状況の中食糧より土地を我が物にしようとする船員たちにも頭を悩まされ、あげくに誤解されて原住民から背中を槍で刺されるなど、まさに悪戦苦闘の連続。

それでも1792年12月に帰国の途につくまで、同地の整備に大きく貢献したのです。

彼が帰国した時点で、ニュー・サウス・ウェールズに居住するヨーロッパ人4,221人中、3,099人が囚人だったとか。

異国の地で4人の内3人が囚人という環境で4年間暮らす・・・それを考えただけで、彼のストレスと苦労が想像できますょネ。

現在のシドニー市の発展は、まさしく彼のおかげ。

その後フィリップは1799年に海軍少将、1805年に大将となった後に海軍を引退。
晩年をパースで凄し、同地で75歳の生涯を閉じました。

一方オーストラリアにはニュー・サウス・ウェールズの安定に伴い、彼が同地に足を踏み入れてから約80年の間に約16万人の囚人が送り込まれ、それ以降羊毛産業や金鉱の発見などにより、オーストラリアは大きく発展したのです。

シドニー市内にはフィリップ提督の銅像があるそうですから、旅行で現地を訪れた際は、探してみてください。

もっとも、アボリジニにとっては忌々しい存在かもしれませんけど。冷や汗



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