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笑 顔

どんなに実力のあるプロゴルファーでも、自分でバッグを担ぎながら一人でラウンドしていては、勝てません。

キャディーという相棒が、絶対に必要です。

同様に8,000メートル級のヒマラヤ山脈登頂を目指す登山家にも、絶対にパートナーが・必要・・・それが、重い装備・荷物を運んでくれる〝シェルパ〟。

今日は、その中でも最も有名な・・・即ち世界で初めて最高峰のエベレストに登頂したシェルパ、


 テンジン・ノルゲイ

    Tenzing Norgay


の命日にあたります。


       


シェルパとは、一般的にヒマラヤ登山隊の荷揚げや道案内に従事する人を指しますが、もともとは〝シェルパ族〟という民族の名前。

彼らはヒマラヤ地方を中心にインド・中国・ネパールなどを行き来し交易によって生計を立ててきた民族であり、国境という概念を持たず、国籍もパスポートも所持していないとか。

標高3,000m以上の高地に居住しているため心肺機能に優れ、当然ヒマラヤの地理・天候に詳しく腕力・脚力・忍耐力に優れていますから、各国の登山隊が彼らに頼るようになったのは当然のこと。


ただテンジンはシェルパ族ではなく、1914年にマカル山近くのツァ・チュという所に13人兄弟(内8人は夭折)の11番目として生まれたチベット人でした。


農奴としての生活は貧しくかつ厳しかったため、一家はネパールのクンプ地方に移住。

そこでインドのダージリンでヒマラヤを目指す登山隊が荷役やガイドを探しており、その仕事の稼ぎが良いという噂話を耳にした彼は、近所に住むシェルパ族の娘と恋に落ち、駆け落ち同然でダージリンへ。


しかし登山経験もなく英語を喋れない彼が仕事にありつけるはずもなし。

ところが1935年、イギリスの有名な登山家エリック・シプトンがエベレスト調査隊を編成しシェルパを募集した際、経歴を記録した証明書や推薦状を一切持っていない彼を採用したのです。

ド素人のテンジンが合格した理由・・・それは、面接したシプトンが、彼の〝笑顔〟に魅了されたからでした。

過酷な登山では、その笑顔も強力な武器になる、という判断だったのかもしれませんが、採用された彼の働きはシプトンの予想を遥かに超えるものでした。

翌年シプトン率いるエベレスト登山隊に選ばれ、また1947年にはカナダ隊にも同行・・・両隊とも登頂には失敗しましたが、テンジンにとっては貴重な体験に。

そして1950年に鎖国状態だったネパールがエベレスト登山隊の受け入れを開始したことが、彼に大きな幸運をもたらすことに。

1952年にスイス隊に同行し、頂上まであと237mまで迫ったテンジンは、その翌年にイギリス隊からの要請を受けて参加。

同隊は登頂を目指す第一陣としてイギリス人のチャールズ・エヴァンスとトム・ボーディロンの2人にアタックさせますが、あえなく失敗。

そして次に挑戦したのが、ニュージーランド人のヒラリーとテンジンだったのです。

     

                ヒラリー(左)とテンジン


経験不足ながらも192cmの体躯を誇る若いヒラリーと、身長177cmと小柄ながら経験豊富なテンジンの凸凹コンビは、5月29日に見事世界初の登頂に成功。

後に 「どちらが先に登頂したのか?」 が世間に注目されましたが、2人とも 「同時だった」 と回答・・・実に山男らしい友情溢れるエピソードです。

一気に有名人になったテンジンは、世界から引っ張りだこ・・・しかしパスポートを所持していなかった彼は、出国するにも一苦労だったとか。

1963(昭和38)年には外務省の招きで来日、自分の名前が〝天神〟だと知って大変喜んだそうな。
笑2

しかし、インド政府が創設した登山学校の講師に就任し58歳で定年を迎えた後の彼の人生は、決して恵まれていたとは言えませんでした。

知人の紹介で登山専門の観光会社に就職できましたが、会社は彼のネームバリューが欲しかっただけ。

彼は山に登ったりガイドをすることもなく、ただデスクワークの日々。

平地に降りた山男は、陸に上がった河童の如し・・・しまいに彼は鬱病に罹ったといわれています。

そして今から31年前の今日・1986年5月9日、72歳の彼は突然この世を去ってしまいました。

本当は彼、有名になるよりずっと山に登っていたかったのかも。

笑顔で世界最高峰を制したシェルパのご冥福を、あらためてお祈り致します。笑3


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