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スペインの星

今日は、私が社会人になってゴルフを始めた頃に憧れていた天才プロゴルファー、


 セベリアーノ・バレステロス

   Severiano Ballesteros


の命日、仏教でいうなら七回忌にあたります。

1957年、スペイン・カンタブリア州で4人兄弟の末っ子として生まれたセベは、キャディーのアルバイトをしていた兄の影響で早くからゴルフクラブに馴染む環境で育ちました。

そして元オリンピック選手だった父親の運動神経を譲り受けた彼は、メキメキ上達・・・12歳でスクラッチ・プレーヤーの実力を身につけ、16歳でプロ入り。


183cm・88kgという立派な体躯を生かし、1976年には19歳で欧州ツアーの最年少賞金王に輝くと、1979年には22歳で全英オープンを制し世界のトップ・プレイヤーの仲間入りをしていました。


               


メジャー5勝 (1980、83年のマスターズ優勝と3度の全英オープン優勝) を含め、世界ツアー通算91勝。

内欧州ツアー50勝は、現在でも同ツアー最多勝記録。

※1980年のマスターズは、23歳と4日で当時の史上最年少優勝。
(この記録は1997年にタイガー・ウッズが21歳3ヶ月で優勝し更新。)


また1977・78年の日本オープン連覇やVISA太平洋マスターズ・フェニックストーナメントの優勝なども含まれています。

※日本オープン初優勝時、彼は20歳7ヶ月・・・これも日本ツアーでの最年少優勝記録。
(これを更新したのが、2007年に15歳8ヶ月で優勝した石川遼選手。)


様々な最年少記録を更新したセベのプレーの中でも、私が最も印象に残るのは1979年の全英オープン最終日。


優勝争いの中迎えた16番ホール・・・ティーショットを臨時駐車場に打ち込み万事休すと思われました。


       


ところがクルマをどかさせてベアグランドから放った第2打は、何とピンそば4mにナイス・オン。

これを1パットで沈めてバーディー・・・優勝を決定づけたこのミラクル・ショットは、今でも語り草です。

       


またプライベートでも大富豪の令嬢と恋に落ち、ゴルフの実績を積み重ねることによって彼女の父親に認めてもらい見事ゴールインしたことも、有名なサクセス・ストーリー。


しかしそれまで疾風怒濤の如くフェアウェーを駆け抜けた彼は、結婚によって人生の目標を完遂したのか、90年代に入ると急速に輝きを失ってしまいました。

その大きな要因は、その頃からメタル・チタンヘッドのドライバーが急速に普及したこと。

彼の高度なテクニックを生かせるパーシモンから飛んで曲がりにくいクラブが登場し、それに合わせてスイング改造を試みたことが裏目に出た、といわれています。


同年代のプレーヤーたちがシニアで再び輝きを取り戻す中、腰痛にも悩まされてスランプに陥った彼は、1997年に世界ゴルフ殿堂入りしたものの、その10年後にトーナメントからの撤退を表明。


そしてその翌年、マドリード空港で脳腫瘍により昏倒し病院に緊急搬送。


以来4回もの摘出手術を乗り越え、一時はゴルフができるまで回復し、東日本大震災直後には、公式HPに

〝日本、私はあなたと共にある。

  March 16 2011         

  JAPAN, IM WITH YOU

と、私たちを元気づけるコメントを掲載してくれました。


       


しかし、それから2ヶ月も経っていない2011年5月7日・・・彼は天に召されてしまったのです。

54歳という若さでの他界は、1つ年下の私にとって少なからずショックでした。


しかし 「アイアンのフェース幅はボール1個分あれば十分」 と豪語する彼のマシンのように無駄のない正確無比なスイングは、私の頭の中に今でも映像としてクッキリと残っています。


ダンロップ社のCMで繰り返し映し出される彼の惚れ惚れするような美しいスウィングを食い入るように何度も見たことが、懐かしい思い出・・・。


今年のマスターズで〝神の子〟・〝セベの後継者〟といわれたセルヒオ・ガルシアが、生きていればセベの60回目の誕生日・4月9日に念願の初優勝を飾りましたが、きっと彼が天国から応援してくれたからに違いありません。

〝スペインの星〟と嘔われた天才ゴルファーのご冥福を、あらためてお祈り致します。笑3


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