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博 愛

災害や有事の際には国に協力して国民の救済に尽力し、各都道府県に支部を置き病院・診療所・血液センターや献血ルームを保有する、皇后陛下が名誉総裁を務める認可法人とは?

もうお分かりですょネ。 


 日本赤十字社

この前身である 『博愛社』 が設立されたのが、今からちょうど140年前の今日・1877(明治10)年5月1日のことでした。


創始者は、元佐賀藩士で後に政治家に転じ、大蔵卿や元老院議長も務め、〝日赤の父〟といわれた佐野常民(つねたみ 1823-1902)氏と、元三河奥殿藩の第8代藩主で江戸末期に老中、明治時代に伯爵となり〝日赤の母〟といわれた大給 恒(おぎゅう ゆずる 1839-1910)氏。

  

            佐野 常民                   大給 恒

キッカケは、佐野氏が明治維新直前の1867(慶應3)年にパリ万国博覧会を視察した際に、国際赤十字の組織や活動状況を知ったこと。

国際赤十字の創設者は、スイスの実業家アンリー・ドュナン。

彼は1859年のイタリア統一戦争の悲惨な戦場を目の当りにして、その模様を 『ソルフェリーノの思い出』 という本にまとめ、その中で国際的な救護団体の必要性を訴えたことから欧州全土で大きな反響を呼び、1864年にジュネーブ条約が調印されて誕生したもの。

それ故に、赤十字のマークはアンリー・デュナンの祖国・スイスに敬意を表して、スイス国旗の配色を逆にしたものが採用されているのです。


※ちなみに、同社が使用している〝赤十字マーク〟は、決して病院や医療施設を象徴するマークではありません。

使用できる組織は厳格に規制されており、このマークを掲げている病院やつけている救護院には絶対に攻撃してはならないと国際・国内法で厳格に定められています。

ですから一般人はおろか、一般の病院や医薬品に使用できません。


             

実は、『博愛社』の設立経緯も、これに似ていました。


1877年2月に勃発した西南戦争の悲惨な戦場の様子を目撃した佐野・大給両氏が国際赤十字と同じ救護団体を作ろうと決意したのです。

2人は早速、政府に対して『博愛社』の設立を願い出ます。

                       
            太政官宛博愛社設立願い書


ところが以外にも、政府はこれを認めませんでした。 その理由は、


◆ 現地には既に必要な医師は派遣している。
◆ 戦場に新しい組織を作って送れば、却って混乱をきたす。
◆ 欧州の赤十字は国家間の戦争で救護活動をしているが、西南戦争は内戦である。
◆ このような組織は、平和時に十分時間をかけて検討すべき。


というもの。 まさに紋切型の、現場を知らないお役所仕事。

業を煮やした佐野氏は、征討総督の有栖川宮熾仁(たるひと)親王に設立の直談判を決行。

すると親王は英断をもってこれを許可。 晴れて 『博愛社』 は設立され、救護員は直ちに戦場入りし、傷病者の救護活動を開始。

しかし当初は彼らの存在は理解されず、両軍から攻撃をされ死者も出したとか。

そしてその10年後、同社は『日本赤十字社』と改称し、赤十字国際委員会から承認を得て、現在に至っています。

日本赤十字社の国民に対する貢献を考えれば、佐野・大給両氏が勲一等旭日桐花大綬章を授与されたのは当然かと。

もっとも、賞勲制度を確立させ賞勲局総裁を務めたのは、大給氏本人なんですけどネ。
あせあせ

それでも彼ら2人の受賞に異を唱える方はいないでしょう。

でも同等の 『桐花大綬章』 を、あの国賊と言っていい村山富市・河野洋平両氏が授与されているのは許せませんが・・・。
うー


 


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