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異 色

大企業の経営者となれば、休日もいとわず働き詰めで社業に専念・・・というイメージがありますが、今日は世界的に名の通ったグローバル企業のトップとしては、実にユニークな経歴の持ち主と言える、元ソニー社長


 大賀 典雄 


の命日・七回忌にあたります。


大賀氏は1930(昭和5)年に静岡県沼津市で生まれました。

旧制静岡県立沼津中学を卒業後、音楽家を目指して東京藝術大学・音楽部声楽科に進学。

同大在学中、東京通信工業(現・ソニー)のテープレコーダーの音質にクレームをつけたことが、彼の人生を大きく変えることに。

同大卒業後はドイツのミュンヘン国立高等音楽大学・ベルリン国立芸術大学に留学し、帰国後バリトン歌手として活躍していた大賀氏を、盛田昭夫・井深大両氏が熱心に勧誘。

おそらく大賀氏の感性と行動力を、同社創業者の2人は高く評価したのでしょう。 そしてその眼力は、見事に的中。

大賀氏は1959年ソニーに入社すると、その年に早くも第二製造部の部長に抜擢され、更に広報部長・デザイン室長を兼任すると、現在も使用されている同社の〝SONY 〟のロゴをデザインするなど、同社の工業デザインの基礎を築きました。

1964年に34歳で同社取締役に就任すると、その後はCBSソニーレコードの社長を経て1972年に本社常務、74年に専務、76年に副社長とトントン拍子に階段を駆け上り、そして82年に社長就任。

1995年には同社会長となり、その3年後には経団連・副会長に。

その一方で、(財)東京フィルハーモニー交響楽団の会長や東京文化会館の館長も歴任。

押しも押されもせぬ経済界の重鎮であると同時に、ベルリン・フィルを指揮してベートーヴェンの第九を演奏するなど、まさに経営者と音楽家という二足の草鞋を履くというか、趣味と実益を兼ねるというか、実に羨ましい人生を送られました。


         


大賀氏のエピソードで忘れられないのは、私が敬愛する指揮者H・V・カラヤンとの交流。

ご両人はソニーのCD開発を通じて知り合い、家族ぐるみの付き合いでした。

1985年7月、カラヤン邸を大賀氏が訪れ談笑している最中に突然カラヤンが昏倒・・・そのまま帰らぬ人に。

自らの腕の中でカラヤンの最期を看取った大賀氏が、今度は2011年1月に北京でオーケステラの指揮中に倒れたのですが、この時彼は

「カラヤン先生が、向こうから〝おいで、おいで〟と呼んでいる気がした」

そうな。

幸い直ぐに再会することにはならなかったのですが、その直後から長期の療養生活を余儀なくされた大賀氏は、2011年4月23日・・・奇しくもカラヤンと同じ81歳と3ヶ月で天に召されたのです。

更にこの日は、カラヤンが生前最期のコンサートを行った日(1989年)でもあったとか。

何か運命的なものを感じてしまいます。

大賀氏は、ウォークマン発売直後でCDプレーヤーの開発などソニーが最も勢いのある時期に社長を務めましたが、残念ながら現在の同社は苦戦を強いられています。

日本を代表するブランド〝SONY〟が復活するためには、大賀氏のような芸術的感性と経営感覚を持ち合わせた社長の登場が必要かもしれません。

そんなスーパーマン(?)の登場を願いつつ、大賀氏のご冥福をお祈り致します。笑3


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