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保 守

今日は、日本を代表する作曲家、

 黛 敏郎 

の命日・没後20周年にあたります。

           

黛氏は1929(昭和4)年に横浜市で生まれました。

父親は山下汽船(現・商船三井)の船長だったため家を空けることが多く、敏郎氏は8歳まで父の顔を覚える事はなかったとか。

しかし家にあったオルガンを弾き始めたことから音楽に馴染んだそうで、小学校高学年まででピアノ曲・歌曲・室内楽曲など2,30曲も作ったそうな。

旧制横浜一中から1945年に東京音楽学校(現・東京藝術大学)に入学し、ゴジラのテーマでお馴染みの伊福部昭氏などに師事。

在学中はジャズバンドのピアニストとしても活動する一方で、映画音楽も日本はの国産カラー作品『カルメン故郷に帰る』など、数多く手がけました。

1951年にフランス政府受入れ留学生として渡仏するも、教育内容に反発し僅か1年で帰国。

1953年に芥川也寸志・團伊玖磨両氏と〝3人の会〟を結成し、作曲家としての活動を本格的に開始しました。



代表作としては『涅槃交響曲』(1958年)、『曼荼羅交響曲』(1960年)、また三島由紀夫の『金閣寺』を原作としたオペラ『金閣寺』等があります。

と言っても、かなりのクラシック音楽通でなければこれらの作品を耳にした方はいないでしょう。

ただ映画音楽では、『東京オリンピック』や『黒部の太陽』など、黛氏の作品と知らず聴いていらっしゃるはず。

そしておそらく最も多くの国民が知っている彼の作品は、コレでしょう。



そう、日テレのスポーツ番組のテーマ曲・・・昭和世代の方は、巨人戦や全日本プロレス中継を思い出すことでしょう。

個人的には、このメロディーを聴くと、ジャイアント馬場さんの「アッパ」という声を連想してしまいます。

またテレビの長寿番組 『題名のない音楽会』 の初代司会者として1964年から1997年までの長期間務めクラシック音楽の普及に務められた功績は、非常に大きかったと思います。

その司会を続けている最中の1997年4月10日、黛氏は肝不全により68歳でこの世を去りました。

彼は音楽家としても超一流であると同時に、もうひとつ(芸術家としては珍しい)保守派の重鎮でもありました。

作品が純日本風であったことは、その思想背景があったからこそだと思いますが、現在の日本会議の前身・『日本を守る国民会議』の議長や1977年に創設された『自由社会を守る国民会議』の初代々表を務めるなど、積極的な活動をされました。

一時期、毎年『建国記念の日』に集会でスピーチをする彼の姿をテレビで観た記憶のある方もいらっしゃるでしょう。

しかしそれがために音楽界では敬遠され活躍の場が殆どなくなってしまったことは残念ですが・・・。

あらためて日本を想い続けた音楽家のご冥福をお祈り致します。扇子



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