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暴 君

ローマ帝国は、カエサルの養子・アウグストゥスが初代皇帝に就いた紀元前27年から、395年に東西に分裂・・・オスマン・トルコに制圧される1453年までの長きにわたり続いた強国。

その間には1世紀末から2世紀後半まで五賢帝によって統治され勢力を伸ばした時期もあれば、ネロやカリギュラのような暴君も登場しました。

※2人に関する過去記事は、こちら。(↓)
 ネ    ロ 
http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10481415148.html
 カリギュラ http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11605662247.html

そして今日は、もう一人・・・歴史家ギボンに〝人類共通の敵〟と言わしめた暴君

 カラカラ
  Caracalla

の命日・没後1800周年にあたります。

本名をルキウス・セブティミウス・バッシアヌスという彼は、188年に元老議員セブティミウス・セウェルスの長男として生まれました。

※カラカラというのはガリア風の丈の長い上着のことで、彼が子供の頃いつもそれを着用していたことからつけられた綽名。

その5年後に父が内乱を制して皇帝に即位すると、209年にはカラカラと弟のゲタを共同皇帝に指名。

そして211年に父が遠征先で病没すると、2人は戦争を切り上げてローマに帰還。

しかし共同皇帝というあやふやな立場は2人とも望まなかったようで、互いに主導権を手に入れるべく激しく衝突。

遂には国を2分してそれぞれが皇帝となる話まで飛び出す始末。

この分割案に反対し2人を和解させようと母親が設定した和解の場で、カラカラは近衛兵を抱き込んで実弟を殺害。

ゲタは母親の手の中で息絶えたと言いますから、まさに修羅場。

これにより帝位に就いたカラカラでしたが、弟に対する憎悪は凄まじく、元老院にゲタの痕跡を全て消し去るように命じ、通貨・絵画に描かれた彼の姿を全て消し去り、胸像を破壊されたばかりか、彼に近かった元老議員や貴族を悉く粛清したと言います。

       


皇帝の座を手に入れた彼は、資金確保のため銀貨の改鋳を断行。

しかし銀の包含率を下げたため貨幣価値が下落しインフレを招くと、212年に〝アントニヌス勅令〟を発布し、全属州民にローマ市民権を付与。

これは一見すると領内における民族・人種差別を撤廃した画期的な政策に見えますが、実は全ての国民に相続税などの課税を義務付けることが目的だったといわれており、逆に領民を苦しめることに。

その不満をカラカラは軍を掌握して粛清による恐怖政治で乗り切ろうとし、自分のための別荘・劇場を建てるために、富裕層の貴族や商人に難癖をつけて財産を没収するなど、やりたい放題。

更には自分を揶揄する歌が流行った大都市アレクサンドリアに出向くと、彼の話を聴こうと集まった民衆2万人を虐殺し市街を徹底的に破壊したそうですから、まさに傍若無人。

彼の数少ない功績としてローマ市内に作られた巨大な 『カラカラ湯』 という、今でいうところの健康ランドがありますが、とてもこれで帳消しになどならない乱暴狼藉の数々。


当然こんな暴政が長続きするはずもなく・・・217年4月8日、遠征先のエデッサに入った彼は護衛役の近衛兵ユリウス・マルティアリスによって暗殺され、29歳の若さでこの世を去りました。

一説で
は、隊列を止めて立小便をしている最中に斬殺されたとか。

また殺害した近衛兵はお国のためではなく、数日前にカラカラ帝によって無実の罪で処刑された親族の敵を討つためだったとも。

いずれにせよ身から出た錆、因果応報と言わざるを得ません。

〝権力は人を狂わせる〟、また〝ちょっとした権力を与えれば、その人間の器が分かる〟といいますが、彼は見事な見本と言えましょうか。

あっ、そういえば日本にも去年までそんな都知事がいましたっけ? うー


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