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デ マ

明治・大正時代に、1人の番頭の力量・才覚で一大企業にのし上がった商社がありました。 それは

 鈴木商店

しかし飛ぶ鳥落とす勢いが急激に衰え、遂に倒産に追い込まれたのが、今からちょうど90年前の今日のことでした。


鈴木商店は、辰巳屋の番頭をしていた鈴木岩次郎が暖簾分けで1874(明治7)年に開業。

当初は洋糖引取商を行っており神戸八大貿易商の1つに数えられていた同社を、後に総合商社として飛躍的に成長させたのが、会社設立9年目に入社した金子直吉(1866-1944)でした。
 


        


ところが入社後は癇癪持ちの岩次郎に辛く当たられ、また短調な仕事を押し付けられたことに嫌気した直吉は、一度故郷・土佐に帰ってしまったとか。

しかし、その直吉の商才に密かに目をつけていた人物がいました。
それは、岩次郎の妻・よね。(


          


彼女は田舎に帰った直吉に再三戻ってくるよう手紙を送り、その熱意にほだされた彼は鈴木商店に復帰。

そして1894(明治27)年に岩次郎が亡くなると、彼女は会社の切り盛りを直吉と柳田富士松の両番頭に任せ、直吉が樟脳の取引で損失を出してもその信頼は揺らぎませんでした。

その後、後藤新平から台湾の樟脳油販売権を獲得したことを皮切りに経営は好転。

1914年に第一次世界大戦が勃発すると、戦争が短期間で終結するという大勢の見方を逆読みして、世界中で投機的な買いを決断。

これが見事に当たって大儲けした同社は、この大戦前後に造船・電力・商社・鉄道の各会社を次々買収し、飛躍的に成長。

この頃、直吉は部下に 「この戦乱を利用して大儲けをなし、三井・三菱を圧倒するか、あるいはその二つと並んで天下を三分する」 という手紙を送っていますが、それは決してホラではありませんでした。

なぜなら、一時同社の売り上げは日本のGNPの10%にまで達していたのですから。


     

                鈴木商店・本社(神戸)


しかし、出る杭を叩きたがるのが人間の性・・・急速に成長を遂げた鈴木商店もその例外ではありませんでした。

1918(大正7)年7月に起きた米騒動では、大坂朝日新聞が 「鈴木商店は米の買い占めを行っている悪徳業者」 という根も葉もない捏造記事を掲載。

朝日の捏造体質はまさに筋金入りですが、新聞くらいしか情報収集できない民衆はこれを信じてしまい、同社は翌月焼き討ちに遭ってしまいます。

更に第一次大戦後の反動で株価が下落し打撃を受けましたが、1923(大正12)年9月の関東大震災直後には政府が震災手形補償令を公布して決済不能となった手形を政府が補償することで、急場を凌ぎます。

実質的には、政府が巨大商社・鈴木商店を救済したようなものでした。

しかし1927(昭和2)年3月に、国会で大蔵大臣が潰れてもいないのに 「とうとう渡辺銀行が破綻した」 という虚偽の発言をしてしまい、全国で
取り付け騒ぎが勃発。

その煽りで実際に渡辺銀行は破綻に追い込まれ、この余波を受けて台湾銀行は鈴木商店への新規融資打ち切りを通告。

同社の系列であった六十五銀行にも親会社を支える体力はなく、遂に同年4月5日に鈴木商店は倒産してしまいました。

世界を股にかけて稼いでいた総合商社が、デマで呆気なくふっ飛ぶとは・・・経営の恐ろしさを痛感させられます。

激動の20世紀初頭に咲いた徒花の如き会社ではありましたが、同社の系列としては総合商社の日双・神戸製鋼・帝人・サッポロビール・太平洋セメントなど、現在でも存在する一流企業がいくつも存在しているのが救いと言えましょうか。



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