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散るぞ悲しき

皆さんは、太平洋戦争時における日本陸軍軍人、

 栗林 忠道 大将

をご存知でしょうか?


C・イーストウッドがメガホンを取った映画 『硫黄島からの手紙』 (2006年公開)で、渡辺謙さんが熱演した主人公・・・といえば、お分かりいただけるかもしれませんネ。


アメリカ軍の本土攻撃を阻止すべく、太平洋の孤島・硫黄島を死守しようとした栗林大将が奮戦の末玉砕したのは、今から70年前の今日・1945年3月26日と推測されています。


          栗林忠道大将


1891年に長野県埴科郡に生まれた栗林大将は、1911年に旧制長野県立長野中学校を卒業。


実はこの学校、我が母校・長野県立長野高等学校の前身・・・つまり栗林大将は、私の大先輩なのです。


その後陸軍士官学校等を経て、1923年に陸軍大学校を次席で卒業。


アメリカ・カナダの駐在武官となってハーバード大学にも留学した、陸軍には珍しい米国通であり開戦批判派だったそうな。


開戦後、1943年6月に中将に昇進すると翌年5月に父島・硫黄島を守備範囲とする第109師団長となり、翌1945年2月19日に硫黄島入り。


それまで恒常的に行われていた理不尽な体罰を戒め、理論的・合理的な戦術を用いて圧倒的な兵力を持つアメリカ軍を苦しめたのです。


駐留日本軍20,933名中、戦死者20,129名。 


死亡率96%(!)という凄惨な戦場でしたが、一方米軍の損害も死傷者合計で28,686名を数え、太平洋戦争において米軍の戦死・戦傷者総数が日本軍のそれを上回るという、稀有な例だったとのこと。


食糧・水が絶対的に不足する中で3月26日、最後の兵力300名と共に総攻撃をかけ全員玉砕・・・最後の総攻撃の際、師団長自らが突撃したのは、日本軍戦史々上初めてのことだったそうです。


有能な軍人だった一方で、アメリカ在任中や硫黄島着任後も、奥様や1男2女の子供たちにこまめに手紙を書き続けた子煩悩な父親でもあった栗林大将の素顔を綴った、『散るぞ悲しき』梯久美子・著) という書籍があります。


大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したこの良書、ご一読をお勧め致します。


       ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-散るぞ悲しき

映画が公開されるまで日本国内では殆ど無名だった栗林大将ですが、アメリカでは太平洋戦争時の日本軍人の中で最も優秀な指揮官として彼の名をあげる軍人・軍関係者が多いのだそうです。


結果的に敗北したものの、援軍もないまま総面積僅か22K㎡の小島を日本軍の3倍もの兵力で攻撃を加えられながら、アメリカ軍の想定を遥かに上回って1ヶ月半も抵抗した戦術・指揮能力が高く評価されているからだとか。


絶望的な戦いの中、最期まで部下を鼓舞し先頭に立って戦い散っていった栗林大将の姿は、組織のトップに立つ者には学ぶべきところ大でありましょう。


玉砕決行の数日前、大本営に宛てた最期の訣別文に認められた辞世の句、


   国の為 重き努めを 果し得で 

        矢弾(やだま)尽き果て 散るぞ悲しき


溢れ出る総大将としての責任感と無念の想いに、私は涙を禁じ得ません。


郷里の誇る英霊、そして尊敬すべき母校の大先輩である栗林忠道大将閣下のご冥福を祈り・・・敬礼! 




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