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大器晩成

3B・・・といっても、決して鉛筆やシャーペンの芯の硬さではありません。


今日は、〝ドイツ音楽の3B〟 としてバッハ・ベートーヴェンと並び称され、ロマン派初期を代表するこの大作曲家


 ヨハネス・ブラームス

    Johannes Brahms


の命日・没後120周年あたります。


     ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-Johannes Brahms


ブラームスは1833年、劇場のコントラバス奏者だった父の許にハンブルグで生まれました。

早くからピアノ演奏に才能を発揮し、居酒屋等で演奏をしては家計を助けていたそうですが、やがて演奏家としてではなく作曲家として身を立てる決意を固めます。


(とはいえ、後に作曲したピアノ協奏曲第1,2番とも自ら初演したほど、ピアノの腕前は相当なものでした。)


20歳の時にハンガリーのヴァイオリニスト・レメーニと演奏旅行を共にした際、彼から教えてもらったジプシー音楽に大きな影響を受けたそうですが、その作品を見たシューマンはその才能を絶賛。


音楽雑誌でブラームスを紹介し、彼の知名度アップに大きく貢献しました。


※ちなみにシューマンの妻・クララとは、シューマンの死後も生涯を通じて交流(際?)が続いたそうです。


29歳頃にウィーンに定住したブラームスは 『ドイツ・レクイエム』 等の作品で高い評価を受け、ウィーン音楽院で講義を行うまでに。


1876年には着想から完成まで21年もの歳月をかけた大作・交響曲第1番を発表。


その後1885年までに計4つの交響曲を発表していますが、モーツァルトやメンデルスゾーンがすでに亡くなっている40歳過ぎでの交響曲発表は、大器晩成というか遅咲きの芸術家だといえましょう。


〝3B〟の2人、ベートーヴェンとバッハを崇拝していたというブラームスの音楽は、バロック・古典派の流れを組むと同時にロマン派の先駆けでもある幅広さが特徴で、後進の作曲家にも大きな影響を及ぼしました。


その一方で民族音楽に影響を受け、オペラ作品を一切書かなかった反面、多数のドイツ歌曲やハンガリー舞曲を残したことも大きな特徴。


大変気難しい性格で見かけが怖そう(?)だったこともあってか、あまり友人は多くなかったようですが、ドボルザークの才能を評価し支援をしたことはよく知られています。


ところで、一般的に有名な彼の名がついた曲といえば 『ブラームスの子守歌』 ですが・・・これは彼の作曲ではなく編曲したに過ぎないとのこと。


実はブラームス自身メロディーの創作は苦手で、他人の旋律をアレンジしたり結合させるのが得意だったようなのです。


それ故に、作品の中に変奏曲が多いのだとか。
一口に作曲家といっても、いろいろなタイプがあるんですネ。


20世紀を間近に控えた1897年4月3日、肝臓がんにより63歳でこの世を去った大作曲家・・・というより超一流のアレンジャーの冥福を祈りつつ、私は今宵、彼の代表作・交響曲第一番を聴くつもりです。

演奏は、カラヤン/ベルリン・フィルのゴールデン・コンビ。(↓)

     

このCDは、カラヤンが亡くなる前年の1988年5月、ベルリン・フィルを率いて来日公演した時のもの。

カラヤン自身、これが最後の来日だと分かっていたのでしょう・・・痛む足を引きずりながら指揮台に上り、そして降りた後に涙を流したという逸話がありますが、万感の思いを込めた鬼気迫る演奏は聴く者の魂を震わせます。

今まで様々な指揮者やオケでこの曲を聴きましたが、これを超える演奏はありません。

是非皆さんにも一聴をオススメします。

YouTubeでも、同じ演奏を鑑賞いただけますョ。(↓)


  https://www.youtube.com/watch?v=45mWi4qY5v0

もちろん私は今宵、ブラームスの冥福を祈りつつこの名演を聴くつもりです。


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