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予 兆

今TVゲームに熱中している若者たちには、もうこの方の名前を知る人はあまりいないのかも知れません。


今日は、一部のゲーマーからは今でも熱烈な支持を受けているという 『ムシキング』 などを開発した、セガ(SEGA) を傘下に収めていたCSKホールディングスの創業者であり、名誉会長であった

 大 川  功  

の命日・十七回忌にあたります。


    


1926(昭和元)年、大阪市に生まれた大川氏は早稲田大学卒業後、肺結核に加え盲腸手術の失敗による腸漏を併発し、7年半にわたり病床に臥すという苦しい青年時代を過ごしました。

その後家事手伝いや繊維・タクシー業界を経験した彼に大きな転機が訪れたのは、1962年。

日本IBMの勧めでパンチカードシステムの講習に参加したことで、コンピューター・情報産業の将来性に予兆を感じた事。


1968(昭和43)年、42歳の時にコンピューターサービス会社を設立。


従業員わずか10名で立ち上げたこの会社は順調に成長し、1980年には情報産業界初の店頭公開を果たすと、2年後には東証二部、更に4年後には東証一部上場を果たします。


翌年には社名を株式会社CSKに改称、以後もセガ・エンタープライゼズに資本参加するなど、急成長を続けました。


他に類を見ないほどの事業意欲を持つ大川氏は、時として〝超ワンマン経営者〟と揶揄されもしました。


それを象徴しているのは、会社の社員読本や手帳は言うに及ばず、同社の株券にも自身の顔写真を刷り込んだこと


まるで各家庭に自分の写真を飾らせる亡国の独裁者の如き(?)行為に、「会社の私物化だ」と批判する向きもありましたが、自らの設立した会社に対する強烈な思い入れと自負心に、凄じいものを感じます。


また自らの経営責任を明確に負い、家庭用ゲーム機分野から撤退することとなったセガに個人資産850億円をポンと寄付したことにも驚かされました。


そのセガがタッチパネルディスプレーをゲーム機と組み合わせた付帯機能を開発した時、それを見せられた大川氏は瞬時に、


「これ、預金を引き出す機械(ATM)に使えるんとちゃうか?」


と口走り、その発想の柔軟性に開発者が舌を巻いたとか。


「2001年にはCSKグループで1兆円を売り上げる」


という、社員でさえホラだと思うような構想をぶち上げ、実際1999年には9,000億円までこぎつけたものの、2001年3月16日に心不全により74歳でこの世を去っしまったため、その結末を確かめることはできませんでした。

その大川氏は、自著の冒頭でこう述べておられます。


    
              
『予 兆』 (東洋経済新聞社・刊)

 
「新しい産業には、必ずその〝予兆〟があるという。


その〝予兆〟を逃がさずにとらえ、これを命がけで事業化しようとする人に対して、天は時流という恩恵を与え、そして使命という社会的責任を負わせるのだと思う。


私の人生は、それに尽きる。」


自らの一生をそう振り返った、カリスマ経営者のご冥福をお祈り致します。笑3

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