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義 死

台湾の人々が親日であることは、皆さんもご存知のことと思います。

その要因には歴史的な背景があり、また台湾の発展に貢献した日本人の存在がありました。

その一人として、以前拙ブログで八田與一氏について書きました。(↓)

 http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11464781356.html


そして今日はもう一人、台湾の人々に英雄としてその名が語り継がれてる日本人、

 坂井 德章 


の命日・・・言われなき罪を着せられて処刑されてから70周年を迎えます。


   

彼の父・坂井德蔵は熊本県出身で20歳の時に台湾の警察官募集に応じて渡台し、そこで台湾人女性・湯玉と結婚。

2人の間に1907年、日台ハーフの長男として生まれたのが德章氏でした。

台南州で暮らす彼が8歳の時に、父親が本島人による最後の抗日武装蜂起・西来庵事件に巻き込まれて殉職。

母親の姓である湯を名乗るようになった彼は、幼少時よりガキ大将であると同時に頭脳明晰で、彼の能力を見込んだ学校長の尽力で難関・台南師範学校に進学するも、自らの進路が教師ではないと思い至り、退学。

すると彼は炭焼きをしながら貯金し、巡査試験に合格して父親と同じく警察官に。

不正を断固許さないという信念を貫いて職務に邁進していましたが、日本人有力者が起こしたひき逃げ・ 『鹿沼事件』 の処理を巡り、事を穏便に済まそうとする上層部と衝突。

本島人として唯一人警部補になっていたにも関わらず、辞職を決意。


すると彼は、「差別をなくし、台湾人の人権を守るために弁護士になる」 ことを決意し、警察の情報網を駆使して見つけた父の弟・坂井又蔵を頼って東京へ。

そして又蔵の養子となって坂井姓を名乗るようになった彼は、当時の最難関試験である高等文官試験に挑戦。

昼夜を問わない猛勉強の末、1941年に高等文官司法科試験(現在の司法試験)と高等文官行政科試験(現在の国家公務員I種試験)に、見事ダブル合格。

この一報が台湾の地元紙に掲載されたというのですから、それが如何に壮挙であったかが分かります。


そして勇躍、台南に戻って弁護士事務所を開設したのですが・・・彼を待ち受けていたのは、抗えぬ時代の荒波でした。

日本の敗戦によってなだれ込んできた国民党軍による台湾財産の収奪、インフレ、汚職の横行などが市民を追い込み、その不満が爆発したのが1947年2月28日に起きた、『二・ニ八事件』。

台湾各地で暴動が起き、それを鎮圧できない中国国民党の行政長官・陳儀は、大陸に鎮圧軍の派遣を要請。

このままでは台湾の人々に大きな危害が及ぶと憂慮した彼は、台南市の臨時治安協助委員会(後の二二八事件処理委員会)の治安組組長となって、台南工学院(現在の名門・成功大学)に乗り込み、決起しようとしている学生たちを説得して武装解除に成功。

これが結果的に国民党軍の報復から学生たちを救うことになりました。

しかし3月9日に制圧部隊が上陸するや、陳儀は暴動の首謀者が共産党分子と留用日本人(敗戦後も台湾に残留した日本人)であるとして弾圧し、日本統治時代の知識階層の一斉排除を目論んだのです。

逮捕された彼は、激しい拷問を受けながらも、台南工学院らのリーダーの名を決して明かしませんでした。

そして3月13日・・・トラックで市中を引き回された上で、銃殺刑に処せられたのです。

処刑の直前、彼が叫んだのは、この一言だったとか。

「台湾人、万歳ッ!」

自らの命と引き換えに多くの台湾の若者を救った彼の名と行為は、戒厳令下の台湾で密かに語り継がれ、そして半世紀余り経った1998年2月28日に、彼が処刑された公園の名が『湯德紀念公園』と改められ、彼の銅像が建立されました。

     

更に3年前の2014年には、彼の命日である今日・3月13日が、台南市の 『正義と勇気の紀念日』 に制定されたのです。

坂井氏について興味のある方には、昨年12月に出版されたこの著書のご一読をお勧めします。

 『汝、ふたつの故国に殉ず 』 

                (門田隆将・著 角川書店・刊)


   


同書には、私たち日本人が学校で教わらない大東亜戦争直後の台湾の過酷な歴史や、大陸からやってきた国民党軍(支那人)の極悪非道ぶりや残虐性も描かれています。

現在評論家として活躍されている金美齢さんのご主人が、少年時代に現地で目撃した凄惨な光景やその後の経験談を、平和に浸り切った日本人は想像すらできないでしょう。

世界に親日国は数多くありますが、それは信念を持ち命がけでその国の発展のために奮闘した日本人がいたからこそ。

親日国を大切にしないのは、その国と、そこで英雄視される日本人を侮辱することに他なりません。

未だ自虐教育がまかり通る学校では教えない先人の存在と活躍を、日本の将来を担う次世代に語り継ぐことは、私たちの責務ではないでしょうか?

そんな思いを新たにしつつ、2つの祖国を持つ〝台湾の英雄〟のご冥福をお祈り致します。


 


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コメント
コメント
良い記事でした。
今日は、初めまして、やっと貴殿の立ち位置が分かりました。

私も台湾人の友人がいます、彼らは決して中国人とは言いません。

私達は台湾人と言います、そして親日的です、私自身台湾にも行った事があります。

良い国でした、このような記事が拡散される事を望みます。
2017/03/13(月) 13:08:06 | URL | わがまま、親父 #X8F4Zk5. [ 編集 ]
◇わがまま、親父 さん
コメントありがとうございます。
台湾の人々が、自分たちを中国人と言わない理由・・・この書籍を読むとよく分かります。
日本人は、特亜よりも親日国を大事にすべきですょネ。
2017/03/13(月) 19:19:24 | URL | ナベちゃん #- [ 編集 ]
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