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リレー

某運送会社のことではありませんが、宅配便や郵便がない時代に世の中の物流を担ったのが、

 飛 脚

だったことは、皆さんもご存じのことでしょう。

律令時代には唐の制度を取り入れた〝駅制〟が設けられ、京都を中心に街道には駅(うまや)が設けられ、使者が馬を使って伝令を行い、重要な通信には〝飛駅(ひえき)〟を呼ばれる至急便が用いられたといいます。

鎌倉時代には鎌倉飛脚・六波羅飛脚が登場し、室町時代には京都御所と関東府を結ぶ関東飛脚が登場。

しかし戦国時代に入ると各大名が領地境に関所を設けたため、以前ほどの物流ができなくなり、反面密使が増えたとか。

そして天下泰平の江戸時代に入ると、街道や宿場が整備され、飛脚による輸送制度が確立。

今から384年前の今日・1633(寛永10)年3月11日に、老中や勘定奉行らと京都所司代・大阪城代らを結ぶ公儀(幕府の公用)用の飛脚である 『継飛脚』 の制度が開始されました。

継飛脚は書状等を入れた御伏箱を担ぎ、御用と書かれた札を待つ2人1組の飛脚が、宿駅毎にリレー形式で運送。

         

                葛飾北斎 『暁の不二』

では彼らはどれくらいのスピードで御伏箱を運んだのか?

江戸(東京)~京都間は約492kmあり、通常徒歩だと2週間前後かかったそうですが、彼等継飛脚は、僅か3~4日間で運んだとか。

ということは、1日120~160km運んだ計算。

あの箱根駅伝が片道を5人で走る距離が107.5kmですから、それ以上。


しかも当時の道路は舗装されておらず、草鞋履き。


そして大井川など大きな河川には橋はかかっておらず船で渡っていたのですから、そのハードさは現代人の想像を絶します。


やがてこの公用専門だった継飛脚の他に、諸藩の大名飛脚も登場。

そして当然の如く民間でも同様の輸送ニーズが高まり、民営化された飛脚が登場したのは継飛脚制度確立から30年後の1663年のことでした。

移行飛脚は江戸時代から明治初期にかけて活躍しましたが、ある事をキッカケに消滅することとなります。

       

                 明治時代の飛脚


それは、郵便事業の誕生。


1870(明治3)年、駅逓権正となった前島密が書類を地方に発送した際に飛脚料金の高さに驚き、国営で切手を貼ることにより全国一律料金で書類や荷物を届ける〝郵便制度〟を考案し、翌年開始されした。

※その功績を称え、現在でも1円切手は前島密の肖像が使われています。

さて、困ったのは飛脚業界。
当然猛反発したのですが、そこは民間の強かさ。

彼等は結束して、郵便制度に並行する形で荷物や現金輸送に従事する陸運元会社を1872(明治5)年に-設立。

実はこれが現在の日本通運の前身なのです。


・・・ってことは、本来飛脚のマークをつけるべきは、日通だったのかも?あせあせ




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