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微 笑
今日は、中高年クラシック音楽ファンには懐かしい、20世紀を代表する指揮者


 ブルーノ・ワルター

    Bruno Walter


の命日・没後55周年にあたります。

ワルターは1876年にドイツ系ユダヤ人としてベルリンに生まれました。

早くから音楽の才能を発揮し地元ベルリンのシュテルン音楽院を卒業した彼は、当初ピアニストとしてデビュー。

しかしハンス・フォン・ビューローの凄まじい実演を観た彼はピアニストの道を断念、一転して指揮者の道を目指し、18歳の時にケルン市立歌劇場でデビュー。

<そして2年後にハンブルグ歌劇場に移籍したことが、彼の運命を大きく変えることに。


それは、当時そこで音楽監督をしていたのが作曲家・指揮者として名高いグスタフ・マーラーだったから。

上司であり師匠でもあったマーラーに資質を認められたワルターは、その後彼と共にウィーンに転任しウィーン音楽院で教鞭を取ると、以後ウィーン宮廷歌劇場の学長、ミュンヘン宮廷歌劇場やベルリン市立歌劇場の音楽監督などを歴任。

更にはザルツブルグ音楽祭や欧米の一流オーケストラに招かれる人気指揮者に成長・・・したのですが、彼がユダヤ人であったことがその後の人生に大きく影を落とすことに。

それは、ナチスの台頭。

     


1933年にナチス政権が誕生すると、その直後に演奏旅行から帰国した彼はゲッペルス宣伝大臣から殺害予告を受け、実際に楽屋に銃弾が撃ち込まれる事態に。

そして演奏会も中止に追い込まれたワルターは、ウィーンに移住。


しかし1938年にオーストリアがドイツに併合されたため、更にスイスのルガーノに逃亡。

その後フランスに招待され同国籍を取得し、ようやくナチスの手の及ばない地域での演奏活動を再開。

次女が離婚調停中だった夫に射殺されるというショッキングな事件にも遭遇した彼は、第二次世界大戦が勃発すると、アメリカへ活動の場を移します。

戦後はヨーロッパでもタクトを振るなど精力的に活躍しましたが、クラシック・ファンにとってありがたかったのは、CBSレコードが彼のために専属のコロムビア交響楽団を作り、数多くのステレオ録音を遺してくれたこと。

私自身も、ワルターの演奏を初めて聴いたのは中学生時代・・・そのコンビによって録音された、師匠マーラーの交響曲第一番『巨人』のレコード。


    

画像は数年前に発売された、当時のレコード・ジャケットと同じデザインのリマスター版CDですが、音質も演奏も申し分なし・・・個人的には、同曲最高の名演だと思います。

※お時間のある方は、こちらでお聴きください。
 https://www.youtube.com/watch?v=QYpeykCM-gg

同時期に活躍したフルトヴェングラー、トスカニーニと共に三大指揮者といわれた彼の演奏は、前者2人が〝剛〟・〝烈〟とすれば、彼は〝微笑〟・・・穏やかで平和的な演奏が特徴。

故にモーツァルトやベートーベンの交響曲第6番 『田園』 が名演と評価されるのも頷けます。

その演奏同様に、指揮法も派手に体を動かなず大人しいスタイル。

ただ 「どうして美しい音が出せないのですか?」 と悲しげに訴えられたオケの団員にとっては、感情の起伏が激しかったトスカニーニよりもやりにくかったそうですが。
あせあせ

そんなワルターが心不全により85歳の生涯を閉じたのは、1962年2月17日のことでした。

ユダヤ人だった故に過酷な運命を強いられながらも三大指揮者の中では最も録音を遺し、また師匠マーラーの交響曲第9番や大地の歌を初演した20世紀前半を代表する指揮者・ワルターの演奏を、機会があればぜひ一度お聴きになってみてください。

私は今宵、中学生時代に聴いた記憶を辿りつつ、CDの『巨人』に耳を傾けるつもりです。


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