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輪 番

『幕府』 とは、我が国において征夷大将軍など武家の最高権力者をトップとする武家政権のこと。

最初は鎌倉幕府で、始まりは私が子供の頃は「イイクニ作ろう鎌倉幕府」で1192年とされていましたが、今ではそれ以前の1185年とする説も。

いずれにせよ源頼朝から源氏3代を経て北条氏が引き継ぎ、1333年まで約150年程続きました。

そして1336年に足利尊氏が征夷大将軍となって作ったのが室町幕府で、こちらは織田信長に15代将軍・義昭が追放された1573年まで、237年。

そして我が国最後にして最も長く政権を保った


 徳 川 幕 府


を初代・徳川家康が征夷大将軍となって創立したのが、今から414年前の今日・1603(慶長8)年2月12日のことでした。

         

江戸幕府も15代将軍・徳川慶喜が1867年10月に大政奉還するまで264年間統治が続いたことは、皆さんもご存じの通り。

なぜそれだけ長期間にわたって政権を維持できたのか?

その主たる要因を、私は綿密かつ細心に練られた組織作りにあったと考えます。

※実は『幕府』という呼称は幕末になってからのことで、当初は時々時代劇で耳にする 『(御)公儀』 と呼ばれていたそうな。


徳川幕府の支配体制は〝幕藩体制〟と呼ばれ、将軍が統治する幕府と、将軍と主従関係を結んだ大名が統治する藩で構成。

将軍が大名に対して朱印状を与えてその知行(領土支配権)を保障し、大名にはその知行内で独自に統治を行う権限をある程度与えました。

これは現在の政府と都道府県自治体の関係とほぼ同じと言えましょう。


しかし現代と違い、江戸幕府創立当時は、まだ戦国時代末期。

いつどこの大名が反旗を翻すか分からない・・・ということで、大名を3タイプに分けました。


まずは家康の男系子孫が大名となる、親藩
主として関ケ原の戦い以前から家康に従った譜代大名。
そして関ケ原の戦い以後に徳川家に恭順の意を示した外様大名。


譜代大名は幕府の要職に就くことが出来ましたし交通の要所に領地を得られましたが、それほど大きくはありませんでした。

一方外様大名は領地は大きかったものの江戸からは遠く、また原則的に幕府の要職に就けませんでした。

つまり江戸幕府に逆らう可能性を経済的・地理的にできる限り排除したわけ。

さらに後の武家諸法度や参勤交代制を敷くことにより、各藩大名に経済的負担をかけたり人質を取るなど様々な方策で押さえつけました。


もし武家諸法度に違反したり、また跡継ぎが無いまま大名が亡くなると、幕府は容赦なく改易(身分剥奪、所領や城・屋敷の没収)や減封を行ったそうですから、大名たちはさぞ日々緊張していたことでしょう。


一方、幕府内部の体制も細かく整備。

将軍の下に大老(臨時)・老中を置き、基本的に政策は彼ら幕閣に任せる形にし、しかも権力の集中を避けるために主要な行く職には複数の人材を配し、1ヶ月交代で担当する〝月番制〟を導入したのです。

     

組織図を見ると、現在の大企業とほぼ同じ。

CEO(将軍)の下に何人かの取締役(老中)がいて、更にその下には経理部長やら総務部長やら各地方支店長がズラリ・・・って感じで。

もちろんこの組織図には株主という厄介(?)な存在は無いですから、まさに将軍様の権限は絶対かつ安泰だったと言えましょう。

まぁそれ自体はどこぞの将軍様がいる国と同じですし、我が国がそれでは困りますが、担当者を月番で替えるってのは、結構面白いかも。

どうですか、皆さんの勤め先でこの〝輪番制〟を取り入れてみては?あせあせ



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