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遺 伝

遺伝とは、親から子に形状や性質が伝わる現象であり、それがDNA(デオキシリボ核酸)を単体とする遺伝子によって受け継がれていくことは、今や多くの方が知るところ。


この遺伝の関しては、紀元前4000年の古代バビロニアに残された石のタブレットに馬の頭やタテガミの特徴の伝わり方が数世代にわたって克明に刻まれているそうで、その当時から食物や飲み物として利用する動物や植物の特徴が 遺伝学的に子孫に伝わることが知られていたようです。

これを〝遺伝学〟という近代科学の一分野として成立させたといわれているのが、

 グレゴール・ヨハン・メンデル

   Gregor Johann Mendel


彼が、その遺伝学の基礎となる〝メンデルの法則〟を口頭で発表したのが、今から150年余り前の今日・1865年2月8日・・・日本では明治維新を迎える直前のことでした。
(※論文発表は、翌1866年。)


メンデルは1822年にオーストリア帝国のハインツェンドルフに小作農の子として生まれ、元々は1843年に聖アウグスチン修道会に入会した修道士でした。

彼が所属した修道院には哲学者・数学者・植物学者がおり、学術研究や教育に熱心だったことが、彼を学問の道へと誘ったようで、1851年から2年間ウィーン大学に留学し、そこでドップラー効果で有名なドップラー博士から物理学を、ウンカー博士から植物の解剖学などを学んだとか。

地元に帰って1868年まで高校で自然科学を教えていた彼は、その間エンドウマメの栽培・交配を通じて何らかの単位化された粒子状の物質が一つの親の性質を決めている、という仮説を立て、それに基づいてメンデルの法則(優性の法則・分離の法則・独立の法則)を発表しました。

そして彼の言う粒子が、後に遺伝子と命名されることになったのです。

          

しかしこの新説はあまりに革新的だった故か発表直後は殆ど注目されず、彼の論文は脚光を浴びることはなかったようです。

論文発表後の1868年から修道院長に就任した彼は多忙を極め、交配の研究を断念。

かわりに気象分野や太陽黒点の観測に重点を置き、むしろ気象学者としての評価を高め、1884年に61歳でこの世を去りました。

彼の提唱した法則が注目を浴びたのは、彼が没してから16年後の事。


1900年にオランダのフリース、ドイツのコレンス、オーストリアのチェルマクという3人の植物学者がそれぞれ別の材料を使ってメンデルの法則が正しいことが証明されたのです。

メンデルが発表した新説は、35年の時を経て日の目を見ることとなり、これが遺伝学のスタートとされているのです。


ただ最先端の研究では、彼の唱えた法則では説明がつかない現象もあるそうで、それだけ遺伝学の奥は深いとも言えましょう。

また後年の研究によれば、彼の論文で報告されたデータの一部が法則に適合しすぎており、自説に有利なデータを選別したと見られているとか。

現代だったら、データ改竄で大騒ぎになったかもしれませんネ。

ということは・・・もしかしたらSTAP細胞も、何年か後になって正しかったと証明される日が来る・・・かも?うー


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