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最年長

2月4日といえば、大石内蔵助以下、討ち入りを果たした赤穂浪士が切腹した命日ですが、今日はその中でも最高齢の76歳でこの世を去った


堀部弥兵衛金丸

について取り上げたいと思います。

名前からお分かりのとおり、彼は有名な堀部安兵衛の義父。

            


1627(寛永4)年に浅野長重の家臣・堀部綱勝の子として現在の茨城県笠間に生まれた弥兵衛は、幼少時に父を亡くしたため浅野3代(長直・長友・長矩)に仕えることに。

しかし先妻との間にできた息子は妻の親戚に殺され、後妻の弟の次男を養子に迎えるも、主君・長矩から却下され、家督相続が出来ず。

そして1694(元禄7)年に高田馬場の助太刀で名を馳せた中山安兵衛に目をつけ、娘の婿養子にとして迎えることに成功。

そして彼ら父子の運命を変えたのが、ご存知松の廊下での主君・浅野内匠頭長矩のご乱心。

これによって浪人となった2人は、討ち入りに加わって見事本懐を遂げ、1703(元禄16)年2月4日に切腹して果てたのです。

討ち入り時、剣の達人・安兵衛はともかく、義父・金丸は75歳。

今でいうなら80歳以上の高齢・・・討ち入りで塀に登る際も若手の助けを借りたとはいえ、その心意気は天晴れの一言。

その彼は、後世に当時の様子を語る貴重な資料として 『堀部金丸覚書』 を遺しています。

         


筆跡は弥兵衛本人のものとされ、浅野長矩の勅使饗応関係の記述から始まり、討入に関する大石内蔵助の意見や江戸の状況、そして最後の部分には遺書や辞世の句が記されているとのこと。

これによれば、堀部父子を筆頭に江戸詰めの浪士は急進派であり、この覚書には弥兵衛の仇討ちに対する強い思い入れが綴られ、またその一方で内蔵助が彼らをなだめる苦心も伺われるとか。

〝雪晴れて 思ひを遂ぐる あした朝哉〟

という彼の辞世の句からは、内蔵助のそれと同じく一点の後悔もなく思いを遂げた爽やかを感じるのも、頷けます。

そんな晴れやかな気持ちで最期を迎えられた弥兵衛が、羨ましい・・・そう思うのは、私だけではないでしょう。

あらためて本懐を遂げた最高齢赤穂浪士のご冥福をお祈り致します。笑3

                      

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