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文 豪

〝日本の文豪といえば、誰?〟と問われたら、皆さんはどう答えるでしょうか?

もちろん複数の作家の名が挙がると思いますが、私なら確実にこの方を入れるでしょう。

 井 上  靖 

今日は、この昭和時代を代表する小説家の命日・二十三回忌にあたります。


          


井上氏は1907(明治40)年に現在の北海道旭川市に軍医の長男として生まれました。

翌年父親が朝鮮に派遣されたため、靖氏は母親と共に彼女の郷里・伊豆湯河原に転居し、13歳までそこで過ごすことに。

一旦帰国した父がまた台湾に転勤したため、靖少年は親戚に預けられ両親と離ればなれの生活・・・これが続いたことが影響してか、靖少年は相当なヤンチャに。

寄宿舎生活時には、舎監を追い出す暴挙に出たこともあったとか。

金沢の第四高等学校(現・金沢大学)時代には柔道に打ち込み主将としてチームをインターハイ出場に導きましたが、しかし一方で教師らの影響で文学にも傾倒。

高校卒業後は北陸四県の詩人が拠った誌雑誌 『日本海詩人』 に投稿するなど詩作活動に入った彼は、九州大学英文科から1932年に京都帝国大学・文学部哲学科に転籍するも、授業には殆ど出席せず東京の同人誌や詩人仲間と交流。

その割には京大在学中に、同大教授のお嬢さんとしっかり結婚はしているのですが・・・。

1936年に大学を卒業すると、『サンデー毎日』 の懸賞小説に入選(千葉亀雄賞)したことが縁で毎日新聞大阪本社に入社し学芸部に配属。

召集され出征したものの、脚気により僅か数ヶ月で除隊し学芸部に復帰。

(当時、部下に山崎豊子氏がいたそうな。)

戦後、人の勧めで詩から小説に転向すると、1950(昭和25)年には早くも『闘牛』で芥川賞を受賞し、これを機に新聞社を辞職して作家に専念。

新聞・週刊誌の連載小説ブームに乗って次々とヒット作を連発しました。


1964年に日本芸術院会員、1976年に文化勲章受章、1981年から4年間日本ペンクラブ会長を務めるなど、昭和の日本文学界を牽引した大作家が急性肺炎によりこの世を去ったのは、1991(平成3)年1月29日のことでした。

ただひとつ残念だったのは、井上氏がノーベル文学賞を獲れなかったこと。

ご本人も意識していたようで、ノーベル賞を逃した夜は、「ノーメル賞だ」 と言って知人らに酒をふるまったそうな。


そんな井上文学に私が最初に触れたのは、おそらく中学の教科書に掲載されていた短編小説の『楼蘭』

大国に挟まれた小国の運命を綴ったこの作品から、私はシルクロードへの憧れを募らせたものでした。

そして自ら本を買って読んだのが、『氷壁』

ナイロンザイルがなぜ切断したのか? その謎を追う小説を、ドキドキしながら読んだことも憶えています。

     

残念ながらその後受験勉強に追われ、井上作品とはすっかり縁遠くなりましたが、氏の作品は映画の原作として多く用いられ、『氷壁』をはじめ『天平の甍』・『敦煌』・『風林火山』・『千利休 本覺坊遺文』・『おろしや国粋夢譚』等々多数に上ります。

その映画の複数の作品は海外の映画祭で入賞を果たしていることが、いかに原作がしっかりした作品であるかを立証していると言えましょう。

学生時代に読んだ作品をあらためて読み返してみても、何ら色褪せることはありませんでしたし・・・。

今後井上氏の未読作品に触れることを誓いつつ、昭和の文豪のご冥福をあらためてお祈り致します。笑3


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