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予 言

天文マニアでなくても、〝ハレー彗星〟はご存知のはず。

今日は、この世界で最も有名な彗星に名を冠された

 エドモンド・ハレー
  Edmond Halley

の命日にあたります。

実は彼、単なる天文学者ではなく、現代社会にも影響を及ぼす数々の研究成果を遺した数学者・気象学者でもありました。

        


ハレーは1656年にロンドンの裕福な実業家の子として生まれました。

1673年にオックスフォード大学のクイーンズ・カレッジに入学し、在学中に太陽系と太陽の黒点に関する論文を発表。

卒業後、南太平洋のセントヘレナ島に滞在し恒星の研究を行って帰国すると、1679年に南半球から見える341個の恒星について詳細に記録した『南天星表』を発表し、高い評価を受けました。

この功績により、彼はオックスフォード大の修士号を取得し、王立協会会員に推挙されます。

1682年に結婚すると、月の観測と重力の研究に没頭。

そして1684年には、ケンブリッジ大学に在籍していたアイザック・ニュートンを訪ね、彼が自ら関心を持っていたケプラーの惑星運動の法則の証明していたことを知ると、彼に『自然科学の数学的諸原理』を執筆することを勧め、更に資金難に陥ったニュートンに代わって経費を負担し自費出版させました。

中には他人の手柄を横取りして自分の名で出版する研究者もいるのに・・・。


1686年には貿易風とモンスーンに関する論文を発表し、太陽熱が地球の大気運動の原因であることを指摘。

更に1693年には、全く天文学と関係ない終身年金に関する論文も発表。

住民の死亡記録を統計的に解析したこの論文により、イギリスは適切な価格で年金サービスを行えるようになったそうですから、私が以前在籍していた保険業界にとっても彼の存在は非常に大きかったと言えます。

1698年に英国海軍のバラモア号の艦長に任命され、広範囲にわたって地磁気観測を行った彼は、1901年に世界初の地磁気図を発表。

その後数々の功績を称えられ、オックスフォード大のサヴィル幾何学教授職や名誉法学博士を授与された彼は、1705年にあの〝彗星〟に関する予言を記しました。

         


この彗星、以前からその存在は知られていました。

1531年にペトルス・アビアヌス(ドイツ)、1607年にヨハネス・ケプラー(ドイツ)が観測に成功していましたが、1682年に出現した彗星の観測内容が彼らのものと酷似していることに気付いた彼は、それら3つの彗星は76年周期で地球に近づく同一の彗星であると『彗星天文学概論』で結論づけ、1757年に再び現れると予言したのです。

1720年からグリニッジ天文台長の座に就いた彼は、今から275年前の今日・1742年1月14日に86歳でこの世を去っており、残念ながら自らの目でその予言の真偽を確かめることは出来ませんでした。

しかし(木星と土星の摂動によって時期は多少ズレたものの)1758年にドイツのアマチュァ天文家ヨハン・ゲオルグ・パリッチュがこの彗星を発見し、彼の予言が正しかったことが証明されました。

その功績により、この彗星は〝ハレー〟と名づけられたのです。

その他にも金星の日面通過に関する予言も彼の死後に証明されるなど、科学分野に関する貢献度は素晴らしいもの。

ノストラ某の予言と違い、科学的に理論づけられた彼の予言はちゃんと当たっていたのです。

今度ハレー彗星が地球に近づくのは2061年だそうですから、私はもちろんこの記事の読者の多くは観ることはできないでしょう。

しかし〝ハレー彗星〟の名を耳にした時は、この素晴らしい科学者の存在と功績を思い出してください。笑2




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