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オジン


今日は、視聴率低下に苦しむフジテレビを次々と人気バラエティー番組を育てることにより救った名プロデューサーであり、私が尊敬する数少ないテレビマンである


 横 澤  彪  氏


の命日・七回忌にあたります。

           ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-横澤彪


1937年に東京で生まれた横澤氏は、父親が朝日新聞の記者だったために転勤・引っ越しで地方都市を転々。


転校するたびに 「東京弁をしゃべる」 ことを理由にイジメられたのだとか。


一浪して入った東京大学文学部を留年しながらも卒業し、フジテレビに入社。


同社では組合活動に関わったことで当時の鹿内社長に睨まれ、一時関連会社に出される辛酸をなめたことも。

しかし本社復帰後に 『ママと遊ぼう!ピンポンパン』 で初プロデャーサーの仕事をこなすと、『THE MANZAI
』 の成功で頭角を現します。


その後も 『スター千一夜』、『笑ってる場合ですよ』、『笑っていいとも!』 などを次々と看板番組に育て上げたましたが、私にとって最も印象深いのは、やはり 『オレたちきょうきん族』


ちょうど私が社会人となった1981年から放送が始まったこの番組は、子供時代からお世話になってきた 『8時だョ! 全員集合』 がさすがに幼稚に見えてきたところに新鮮なお笑いを提供してくれました。


鬼瓦権造、タケちゃんマンやブラックデビルなどの独自キャラクターを次々生み出し、ひょうきんベストテンやラブユー貧乏等々・・・とにかく名前をあげだしたらキリがないほどの企画が次から次へと登場、それを関西・関東の売れっ子芸人たちが演じる、面白さテンコ盛りの番組でした。


いつだったか、『ひょうきん懺悔室』 に登場する神父役のオッサンがこの番組のプロデューサーで、しかも東大出だと知った時には、少なからず驚いたものです。


             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-横澤彪


もしこの番組が・・・いや横澤氏の存在なかりせば、慢才ブームの到来も、そしてビートたけし・タモリ・明石家さんまの〝ビッグ3〟や島田紳助らの台頭・活躍はなかったかもしれません。


同局のゼネラルプロデューサーにまで昇格した後に退職し、吉本興業に転属した横澤氏・・・実は私、その頃一度だけアポを取って直接お会いしたことがあるんです。


当時溜池にあった吉本興業の東京事務所で名刺交換させていただいたのですが、思わず


「私、若い頃はひょうきん族のファンだったんですョ。」


と第一声を発してしまい、横澤氏は苦笑い。


しかしその後の商談では顔こそニコニコしながらも厳しい眼つきでジッとこちらを見つめられ、ず~っと緊張しっ放しだったことが懐かしく思い出されます。


お茶の間にお笑いを提供する制作側の厳しさを、垣間見た気がしました。

2005年に同社相談役を退任し、フリーとなってインターネットサイトで番組を立ち上げ、歯に衣着せぬ発言で論議を巻き起こしたこともありましたが、2007年に悪性リンパ種に罹ったことを告白。

そして2011年1月8日に、73歳でこの世を去りました。

子供時分にイジメられてネクラだったという横澤氏がお笑い番組で人気を博したところに、人生の面白さを感じます。


斬新なお笑いを私たちに提供してくれた敏腕プロデューサー、〝オジン〟と呼ばれ芸人たちに愛された横澤彪氏のご冥福を、あらためてお祈り致します笑3


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