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未 遂

新年早々、乗り合わせた人々は寿命が縮まったことでしょう。

一つ間違えば大惨事となった

 全日空機爆破未遂事件

が起きたのは、私が生まれてからちょうど2ヶ月後・・・今から58年前の今日・1959(昭和34)年1月2日のことでした。

この日午後3時前、旧・大分空港を離陸し大阪に向かう全日空64便は、乗員3名・乗客30名を乗せて順調に飛行。

ところが経由地の岩国空港に着陸するため降下中だった瀬戸内海上空1,000mの地点で、一人の乗客が突然ドアを開けて飛び降りたのです。

機体は当時全日空の主力だった、1944年製造のダグラスDC-3。

      


機体後方にあるドアから飛び降りたそうですが、乗降時の階段にもなっていて真下に開く構造。

飛行機は、まさに上の画像の如く、ドアが期待からぶら下がった状態で飛行を続けざるを得ませんでした。

機長は、このドアが外れて尾翼に衝突すると墜落の危険性があると判断し、速度をギリギリまで落として飛行を続け、ドアが開いたまま無事岩国空港に着陸に成功。

また同機は旧式の非与圧型だったため開いたドアから他の乗客が吸い出されることもなく、飛び降りた乗客を除く32名の乗員・乗客は無事でした。

飛び降りたのは大分県在住で菓子商を営む31歳の男性で、前年に結婚したばかりの19歳の妻との新婚旅行で広島・宮島に向かう途中だったとか。

その新婦は大量の睡眠薬を飲まされ、夫が飛び降りた時には寝ていて気付かず。

更に男性は、事前にダイナマイト25発を入手し機内のトイレに持ち込み、爆発させようとしていたことも判明。

ただ幸運にもダイナマイトは不発。

では彼の犯行動機は、一体何だったのか?

この夫婦には200万円の生命保険が掛けられていたそうですが、自分が搭乗していた飛行機を爆破すれば、たとえ事故に見せかけても自分たちも死ぬ確率が高いですから、意味不明。

結局犯人自身が飛び降りて死亡してしまったため、真相は藪の中・・・何とも不思議な事件でした。

当該事故に関し、運輸省航空局は適切な判断で乗客を無事生還させたとして、機長・副操縦士・客室乗務員に対して航空局長表彰を行ったとか。


現代なら、逆に爆発物を機内に持ち込ませたことで批判され、社長のクビが飛ぶ話ですょネ。

あの日本初のハイジャック 『よど号事件』 が起きる11年前の、実に牧歌的な時代の事件でした・・・が、睡眠薬を飲まされ取り残された新婦は、その後どんな人生を歩んだのでしょう?


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