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怪 僧

以前外交官職員であり、政治家絡みの事件に連座し失職・・・現在はやたらに本を出版している御仁が、この人物の名をニックネームに冠せられていました。


 グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン

     Grigorii Efimovich Rasputin


今日は、ロシアが生んだこの〝怪僧〟の命日・没後100周年にあたります。


彼は1871年にロシア帝国・チュメニ州生まれた・・・とさせていますが、幼少・青年期の様子は定かではありません。


一説では20歳で結婚後、マリアの啓示を受けたとして突然家族に 「巡礼に出る」 と言い残して出奔。


馬泥棒などをしていたとも言われていますが、1904年にサンクトペテルブルクに現れると祈祷を通じて人々の病気治療を施して信者を増やすと、その評判を聞きつけたニコライ・ニコラエヴィチ大公の妻に取り入り、更にアレクセイ皇太子の血友病を治したことで、アレクサンドラ皇后の信頼を得ることに成功。


1905年、ロシア皇帝ニコライ2世に謁見した以後は、アレクセイ皇太子の容体が悪くなるたび宮廷に呼ばれ、祈祷(催眠術?)するたびに病状が改善したことで皇帝夫妻から絶大な信頼を得ると、それを後ろ盾に政治にも関与するように。


       ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草


宮廷に何度も出入りしたラスプーチンは、その手練手管を通じて多くの貴婦人などの女性から熱烈な支持を集めましたが・・・どうもその原因は、絶倫の精力と巨根にあったとか。


(現在サンストペテルブルクに保管されているラスプーチンのものとされる男性器は、長さがなんと33cm!)驚き顔 ワォッ


やがて第一次世界大戦が勃発しニコライ2世が戦地に赴くと、宮廷に残った皇后は何かとラスプーチンに相談するように。

やがて愛人説まで囁かれ始めると、国民から憎悪を浴びるように。


彼の増長に危機感を抱いたウスポフ公は1916年12月29日、皇帝の従兄弟・ドミトリー大公と共謀してラスプーチンを夕食に誘い、青酸カリを盛ったのですが・・・さすがは怪僧、ビクともせず。


次に食後の祈りを捧げる彼の後頭部を重い燭台で何度も殴打し、更に拳銃で4発撃った後絨毯で簀巻きにして凍てついたネヴァ川に放り込まれました。


3日後に発見された彼の遺体を検死したところ、肺から水が・・・つまり、彼は川に投げ込まれた際に、まだ息があったのです。


まさに怪僧の面目躍如・・・いや、モンスターというべきか。


その彼は死の直前、それを予期するかのようにニコライ2世にこう言ったそうな。


「私はやがて殺されます。 もし農民が私を殺すなら、ロシアは安泰。 しかし私を殺す者の中に陛下の一族がおられたなら、陛下とご家族は悲惨な最期を遂げることになりましょう。」


その予言通り、ニコライ2世は彼の死から僅か2ヶ月後に勃発したロシア革命で失脚し、その翌年に家族共々惨殺されました。


そしてその殺害命令を下したのが、あのレーニンだったのです。


もしかしたらラスプーチン(の巨根)こそがロシア革命の影の立役者・・・だったのかもしれませんネ。うー






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