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 イ

ついこの間まで、液晶とかプラズマとか言が話題だったのに、最近では4Kとか8Kとか、更には16Kとか・・・文系の私にはもうついていけなくなっている、テレビ。

最近の若い方は、それら薄型のテレビしかご存じないでしょうが、私を含めた昭和世代では【テレビ=箱型】というイメージが残っている方も多いでしょう。

その箱の中に入っていた 『ブラウン管』 なんて、おそらく平成世代は知らないでしょうネ。


これは1897年にドイツの科学者カール・フェルナンド・ブラウンが発明したことでその名がついた陰極線管のこと。

そしてこのブラウン管を使って世界で初めて日本が画像の電送・受像に成功したのが、今からちょうど90年前の今日のことでした。

その時の静止画像は、たった1文字の『イ』。


         


これは、イ・ロ・ハ順の最初の文字ということで選ばれたのだそうな。


この画期的な実験を成功されたのは、後に文化勲章を授与され、〝日本のテレビの父〟と謳われた工学者、

高柳 健次郎 氏 (1899-1990)


           


高柳氏は現在の静岡県浜松市生まれ。

静岡師範学校から東京高等工業高校(現・東京工業大学)附設工業教員養成所を卒業後、浜松高等工業高校(現・静岡大学工学部)の助教授となり、〝無線遠視法〟すなわちテレビ原理の研究を開始。


そして1926(昭和元)年12月25日に、浜松工高内で『イ』の字の送受像に成功したのです。



走査線は僅か40本と現代のテレビに比べれば粗い画面ですが、当時とすれば画期的な成功だったことでしょう。

しかし、その後高柳氏の研究は中止に追い込まれます。

その原因は・・・戦争。

実験成功後、来たるべき東京五輪でのテレビ放送を目指すべく1937年にNHKに出向したのですが、その翌年に日中戦争が激化し結局オリンピックは中止。

テレビ研究はレーダー開発へと変更を余儀なくされました。


そして戦後GHQの指令によりテレビ研究を禁止された彼は1946年に日本ビクターに入社すると、シャープ・東芝など他メーカーと共同研究を重ねて、テレビ受像機を開発。

この辺の経緯は、後にホームビデオ戦争でβとの競争に勝った高野鎮雄氏が他メーカーにその技術を公開したことと、相通じるものを感じます。

また〝テレビの父〟と〝VHSの父〟共々、日本ビクターの副社長になられたことも奇遇といえば、奇遇。


現在我が国の家電メーカーが苦戦している状況を天国から見ているお二人は、さぞ歯がゆいでしょうネ。

しかしそれよりも私が気になるのは、テレビの技術力は日々進歩しているのに、肝心の番組が劣化していること。

このままだと、テレビそのものがパソコン画面としてしか利用されなくなる日が来るかも・・・。うー




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