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ポ ン

・・・と言っても、麻雀の話ではありません。

若者には馴染みがないかもしれませんが、中高年には懐かしいゲーム

 ポン(PONG

が発売されたのが、今から44年前の今日・1972年11月29日のことでした。

名前で分からなくても、この画面を見れば「ああ、これネ」と思い出す方は多いはず。

      


画面上を飛び回る〝点〟を交互にバーで打ち合う・・・そう、昔温泉旅館に置いてあったプラスチックの円盤をカチャカチャ打ち返す 『エアホッケー』 みたいなテレビゲームです。


販売を手掛けたのは、ノーラン・ブッシュネル(Nolan Bushnell )という当時30歳の実業家。

子供の頃からパズルや電気工作が得意だった理系少年だった彼は、ユタ州立大学在学時に近所の遊園地でアルバイトをした経験から、将来はゲームビジネスで儲けようと内心決意したそうな。

大学卒業後、テープレコーダー会社・アムベックスに就職した彼は、1972年春にカリフォルニア州で実演展示されていたマグナボックス社が開発した卓上ゲーム機 『オデッセイ』 をプレーしたことが大きな転機に。

これをアーケードゲーム(大型の業務用ゲーム機)に応用することを思いついた彼は、アムベックス社から数人のエンジニアを引き抜いて、アタリ(ATARI )社を設立。

同年11月29日に卓球のピンポン(Ping Pong )から〝ポン〟と名付けて発表したのです。

          

               初期のゲーム機とブッシュネル

今から見れば、実に緩慢な動きと言うか単純なゲームなのですが、日立製の家庭用テレビをそのまま嵌め込んだテスト機は、デモンストレーションで置いた店で大ウケ。

その反響を見てブッシュネルは自社生産を決断。

2年間で約1万台された同機は欧米に拡散して大人気を博し、ゲーム市場を大きく開拓。

1976年にはブロックくずしゲームの 『ブレイクアウト』 を発売するなどアタリ社を一気に大会社へと急成長させたブッシュネルは、当然のことながらアイデア元のマグナボックス社から訴訟を起こされましたが、巨額の賠償金を支払ってもなお億万長者になり〝ビデオ
ゲームの父〟と呼ばれるように。

一時期、アタリ社は日本でもテレビCMを流す程絶好調。
その後彼は会社を売却しましたが、まさに一攫千金、アメリカン・ドリームの体現者となりました。

その後アーケードゲームはテーブル型へと発展。
その最たる例が、1978年にタイトーから発売された『スペースインベーダー』。

ちょうど私が大学生の頃で、喫茶店には100円玉を何個も持ったお客が列をなしていましたっけ。

その後パックマン(1980年)、テトリス(1988年)とゲームは進化し続け、現在に至っています。

個人的には社会人になって以降この種のゲームとはすっかり疎遠になってしまいましたが、もしかしたら今後またお世話になるかもしれません。

だって、手先を使うこのゲームは、ボ〇防止に効果があるそうですから・・・。あせあせ




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