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えん歌

損保で夜の営業に勤しんでいた頃は、この方の作品には大変お世話になりました。

今日は、その日本を代表する作詞家


 星野 哲郎 

の命日・七回忌にあたります。

星野 (本名:有近 哲郎) 氏は1925(大正14)年の山口県生まれ。

もともと船乗りに憧れていた彼は地元中学を卒業後、静岡の官立清水高等商船学校(現・東京海洋大学)に進学し、途中結核に罹り休学しながらも卒業。

その翌年に日魯漁業(現・ニチロ)に入社し、念願かなって遠洋漁業の乗組員に。

ところが数年後に腎臓結核に罹り、腎臓摘出。
以後4年間に渡り郷里で闘病生活を強いられました。

しかし、その病気が結果的には星野氏の才能を開花させたのです。


           


闘病生活の間に作詞を学んだ星野氏は、1952(昭和27)年に雑誌『平凡』が募集した懸賞コンクール〝コロムビア全国府県対抗歌謡コンクール課題歌詞〟に応募すると、見事入選。

この時に審査員だった作詞家・石本美由紀氏の主宰する歌謡同人誌 『新歌謡界』 に入会すると、翌年 『チャイナの波止場』 で作詞家としてデビュー。

そして1958(昭和33)年に横浜開港100周年祭記念イベントに応募した作品が1,2位に選ばれると、やはりこの時の審査員だった作曲家の船村撤氏に誘われて上京。

船村・星野両氏の〝黄金コンビ〟の誕生となりました。

船村氏と毎晩のように銀座に繰り出しては、その時思い浮かんだ詞をコースターの裏に書き留め、それを翌日奥様が清書する・・・そんなスタイルで紡ぎ出された氏の累計作品数は、約4,000曲。

有名なところでは、映画『男はつらいよ』の主題歌、北島三郎さんの『函館の女』、『風雪流れ旅』、小林旭さんの『昔の名前で出ています』、水前寺清子さんの『三百六十五歩のマーチ』、都はるみさんの『アンコ椿は恋の花』等々、挙げ出したらキリがありません。

私が今までカラオケで唄った星野作品の数も、一体何曲あったことやら・・・。

非常に温和な性格で周囲の信頼・尊敬を集め、日本作詞家協会・日本音楽著作権協会の会長などを歴任、紫綬褒章・紺綬褒章・勲二等瑞宝章も授与された星野氏が85歳で逝去されたのは、2010年11月15日のことでした。

ところで、今日のお題・・・なぜ〝演歌〟ではなく〝えん歌〟なのか?

それは星野氏独自の世界観で表現される歌詞について、自身が〝演歌〟と称さず、〝遠歌〟〝縁歌〟〝援歌〟などと称していたから。


そんな星野氏の世界を、彼の地元・山口県大島郡周防大島町に2007年に完成した『星野哲郎記念館』で触れることが出来ます。

       


山口県に行かれた際は、瀬戸内海に浮かぶ屋代島に作られた近代的な博物館を是非訪れてみてください。

あらためて、歌謡界の重鎮のご冥福をお祈り致します。笑3






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