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ベネズエラ

日本のプロ野球には、毎年何人もの外国人助っ人が入団してきますが、今まで何人くらいが来日したと思いますか?

なんと、累計で1,000人以上なんですって!

何年も活躍して日本記録を打ち立てた選手から、キャンプに参加したものの開幕前に帰国しちゃった選手まで様々ですが、
今日はその中でも中高年ファンには懐かしい

ロベルト・〝ボビー〟・マルカーノ 選手

の命日・・・二十七回忌にあたります。

昔は外人選手というと殆どがアメリカ人でしたが、中南米出身の草分けとして初めて活躍し、福本豊選手・加藤秀司選手らと阪急ブレーブスの黄金時代を築いた名選手でした。

マルカーノ選手は、1951年生まれのベネズエラ人。

カラカス高校を卒業後、ベネズエラのプロ球団ら・ガァイラを経て1969年にシンシナティ・レッズと契約し、渡米。

しかし3Aでプレーしただけでメジャー昇格は叶わず、くすぶっていたところを日系アメリカ人スカウトの平山智氏に見だされ、1975年に阪急ブレーブスに。

この平山氏、その直後広島カープ専属のスカウトとなってポプキンス、ライトル、ギャレットなどを来日させた、広島黄金時代を築いた影の功労者。

さすがに選手を見る目は確かなスカウトだけあって、マルカーノもその期待に違わず、大活躍。


と言っても、マルカーノが日本行きを決めたのは、年俸が3Aの倍額以上の750万円だったから。

8人兄弟の7番目で、しかも既に結婚していた彼は家族を養う義務を負っていただけに、その選択は当然だったと言えましょう。

         



1年目からチャンスに強いバッティングと強肩・好守のセカンドとして活躍、リーグ優勝と日本シリーズ制覇に貢献。

リーグ4連覇を達成した1978年には4番に座り、94打点で打点王を獲得。


1982年までの阪急在籍8年間でベストナイン・ダイヤモンドグラブ賞を各4回受賞し、1979年にはオールスターMVPも獲得するなど、パ・リーグを代表する選手でした。

1983~85年まで3年間ヤクルトに在籍し、その後現役引退。

通算成績は、232本塁打、打率.287で、1,418安打は当時ウォーリー与那嶺選手を抜き、外国人選手最高記録でした。

読売ジャイアンツの中南米スカウトとして一旦ベネズエラに帰国した彼が再び来日したのは、彼がジャイアンツに紹介したストッパー、ルイス・サンチェスの通訳として。

当時ジャイアンツのベンチから彼がマウンドに向かって歩いている姿を見た時は、ちょっとビックリしたものです。

実はこの時、彼はまだ現役にこだわっていてトレーニングを欠かさず、野球関係者に売り込んでいたといいますから、さすが。

しかし現役選手として契約する球団はなく、サンチェスが翌年解雇されると同時に帰国。

そしてそれからわずか3年後・1990年11月13日に、肺ガンによりこの世を去ってしまったのです。 まだ39歳という若さで・・・。

※ちなみに彼が巨人に送り込んだサンチェも、2005年に51歳で逝去しています。

長生きしていれば何人も優秀な若手を送り込んでくれたはずなのに、日本球界としては貴重な人材を失ってしまいました。

中南米選手の優秀さを自ら証明し、かつ日本球界の外国人助っ人の可能性を広げた功労者のご冥福を、あらためてお祈り致します。笑3



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