FC2ブログ
面 子

一昨年3月、事件後48年が経過してようやく再審請求が認められた『袴田事件』については、未だ記憶に新しいところです。

この事件よりは再審受理が早かったものの、ある意味被告がより無念であっただろうと思われる冤罪事件がありました。 それは


 徳島ラジオ商殺人事件


この凶悪事件が起きたのが、今から63年前の今日・1953(昭和28)年11月5日のこと。

同日早朝、徳島市内のラジオ商(※現在の電器店)の男性店主が殺害され、彼の内縁の妻・Fさんも負傷。 
現場検証では、

◆店主が犯行現場の隣に新たに建築中だった店舗兼住宅の中から血痕が発見され、凶器とみられる匕首(あいくち)が落ちていた。

◆建築現場から逃走していく男を見たという付近住民の目撃証言があること。

◆電気線・電話線が切断されていること。

等から、犯人は外部から侵入し殺害したものと断定。

程なく徳島市警は市内の暴力団関係者2名を強盗殺人容疑で逮捕。

うち1人は犯行を自供したものの、物的証拠がなかったため不起訴処分に。

その後事件から1年近くになっても犯人検挙ができない警察に対して、マスコミが批判的な報道を繰り返すように。


風当たりが強くなる中、捜査の主導権を取るようになった徳島地検は、事件当時ラジオ商で住み込みで働いていた17歳と16歳の少年を度々地検に呼び事情聴取。

その結果、彼等から 「Fさんから電話線や電灯線を切る様に頼まれた」 などという供述を引き出し、彼らの証言を根拠としてFさんを1954(昭和29)年8月に殺人罪で逮捕。

厳しい取り調べにより、Fさんは一旦犯行を自供するも、公判に入ってからは一貫して犯行を否認。

しかし1956年、一審の徳島地裁は彼女に懲役13年の刑を言い渡します。

翌年、高松高裁も控訴を棄却。


Fさんは最高裁に控訴しますが、裁判費用が底をついたため上告を取り下げ、刑に服すことに。

(上告を取り下げた直後、2人の住み込み店員は検察にウソの供述を強要されたと告白しますが、地検は彼等に対し 「Fさんの身内から嘘の告白を強要された」 と強硬に主張し、圧力をかけたと言います。)


Fさんは模範囚として服役しながら支援者と共に再審請求を4度出すも、いずれも却下。

そして1966(昭和41)年に仮出所すると、5回目の再審請求を提出しましたが・・・その審理中の1979(昭和54)年11月15日に、Fさんは肝臓がんにより無念の死去。

しかしその遺志は姉弟らに引き継がれ、彼女の一周忌を過ぎた翌年12月に徳島地裁は再審開始を決定。

そして5年後の1985(昭和60)年7月に無罪判決が出されたのです。

不当逮捕から実に31年、Fさんが亡くなってから6年後のことでした。


        


徳島地裁が無罪を下した理由は、


 ◇ 外部からの侵入者による犯行を伺わせる証拠が多い。
 ◇ 住み込み店員の証言は誘導尋問によって引き出された疑いが強い。
 ◇ Fさんに店主を殺す動機がない。


どれも素人に分かるものばかり。 

日本で初めての死後再審事例となった、至って簡潔明瞭なこの判断を下すまでに32年もかけた裁判所も非難されて然るべきですが、無実の者を罪に陥れた(徳島)地検の悪質さは目に余ります。

科学技術が進歩しDNA鑑定の制度も格段に飛躍した今、同じような冤罪事件が起きる確率は格段に低くなったとはいえ、ゼロではありません。

それを根絶させるためには、やはり取り調べの完全可視化が最低要件。

もしそれが行われていれば、10代後半の住み込み店員を、海千山千の検事たちが取り囲んで誘導尋問など出来なかったのですから。

Fさんの無念を真摯に受け止めているなら、検察は面子を捨て早期に取り調べ体制を改善すべきでしょう。

そうしない限り、いくら謝罪の言葉を述べようとも、国民は検察を信頼しないはずです。うー





            人気ブログランキング




スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック