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見殺し

昨年映画が公開されたことで、日本人漁民がトルコ船員を救助した 『エルトゥールル号遭難事件』 について多くの方が知ったことでしょう。

※この事故に関する過去記事は、こちら。(
   http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11970365610.html

この時の恩義を忘れず、今でも学校でこの事件を子供たちに教えてくれているトルコは、世界でも指折りの親日国。

しかし、この事件の4年前・・・つまり今からちょうど130年前の今日、同じ和歌山県沖でそれとは真逆の

 ノルマントン号事件


が起きていたことを、ご存じでしょうか?


1886(明治19)年10月24日午後8時頃、横浜から神戸に向かって太平洋を航行中だったイギリスの貨物船ノルマントン号(240トン)が、暴風雨により和歌山県樫野崎沖で難破・沈没しました。

同船にはイギリス船長J・W・ドレーク船長を始めイギリス・ドイツ・中国・インド人の乗組員39名と日本人乗客25(内女性4)名が乗船していましたが、助かったのはイギリス・ドイツ人乗組員のみ。

彼等は救命ボートで脱出し、漂流していたところを沿岸の漁師らに救助されましたが、日本人乗客は沈みゆく船に取り残され、誰一人救助されぬまま溺死してしまったのです。


   

                紀伊海難船之図(楊洲周延・画)


この遭難事故の一報を聞いた当時の井上馨外相も日本人乗客全員が死亡したことに不信を抱き、調査を命令しました・・・が、ここで大きな障害となったのが、当時西欧諸国と締結していた不平等条約。

すなわち、船長らに対する海難審判権は日本になかったのです。

11月1日、在日英国領事J・ツループは領事裁判権に基づき領事館内で海難審判を行い、ドレーク船長の

「船員は日本人に早くボートに乗り移るよう勧めたが、日本人は英語が分からず、船内に籠もって出ようとしなかったので仕方なく置き去りにしてボートに移った。」

という信じ難い証言を採用し、船長以下乗組員全員に無罪を言い渡したのです。

この理不尽な判決を受けて、当時の新聞は

「船長以下20名以上の水夫が助かったのだから、1人や2人の日本人乗客を助からないはずがない」

「西洋人乗客なら助けたのに日本人なるがゆえに助けなかったのではないか」

などと書き立て、日本国内では人種差別に対する怒りが渦巻きました。

世論の沸騰を受け、井上外相はドレーク船長の出国を認めず、兵庫県知事名で横浜英国領事裁判所に殺人罪で告訴。

翌月N・ハンネン判事は船長に禁固3ヶ月の有罪判決を下します・・・が、遺族に対する賠償金は支払われませんでした。

これはそ、れ以上事を荒立てて日英関係にヒビが入ることを恐れた政府や支援者たちの働きかけにより、遺族が訴えを取り下げたから。

結局遺族は全国から集まった義捐金の分配を受けただけで、半ば泣き寝入りさせられたのです。

不平等条約が改正され領事裁判権が撤廃されたのは、1894年・・・この事件から8年の月日を要しました。

この事件を顧みると、昔も今も日本外交が如何に欧米に対し弱腰であり、無益な配慮を続けていることが分かります。

欧米に阿って自国民を泣かせる政治家や役人は、いつになったら一掃できるのやら・・・。うー





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