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全 滅

日本でいえば〝関ヶ原〟か〝天王山〟、はたまた〝大阪夏の陣〟に相当するというべきか・・・アメリカでは自由の象徴というか独立機運を一気に高めた歴史の分岐点にあたる戦闘とされるのが


 アラモの戦い


13日間の激闘の末、テキサス反乱軍がメキシコ軍に壊滅させられこの戦いが終結したのは、今から179年前の今日・1836年3月6日のことでした。

中高年の映画ファン方なら、ジョン・ウェインが主役を演じた1960年公開の西部劇大作 『アラモ(The Alamo )』 をご覧になった方も多いことでしょう。

(※但しこの映画のストーリーには、史実と違う部分があるようです。)

現在のテキサス州からカリフォルニア州までの南西部地帯は、以前はスペインが領有していました。

   

そして1921年にメキシコがスペインから独立した時、その南西部もメキシコ領土に。


しかし首都メキシコシティーから遠いこの地帯には目が届かず、アメリカ東部からの入植を条件付きながら認めていたのです。

その入植者たちが独立を目指して蜂起し、かつてスペイン領有時代にサンアントニオに建設した布教所〝アラモ〟を拠点として集結。

(※サンアントニオは、昨シーズン米ブロバスケットのNBAチャンピオンとなったスパーズの本拠地)

この独立を認めないメキシコの大統領兼将軍だったサンタ・アナは約6,000人の兵士と20門の大砲を現地に派遣。

自ら2,000人の兵を率いてサンアントニオを包囲します。

一方の反乱軍(テクシャン軍)もジェームズ・ボウィ大佐を筆頭に軍人の他志願兵も終結・・・しかしその数は僅か200名と圧倒的に不利な状況。


1936年2月23日から、両軍が激突。


その4日後に結核でボウィ大佐が倒れ、指揮権を受け継いだウィリアム・トラヴィス大佐(27歳)はテクシャン軍の士気を鼓舞すると共にテキサス暫定政府宛てに〝勝利、もしくは死を〟という有名な援軍要請の書簡を送りましたが、結局援軍は来たらず。


遂に3月6日、メキシコ軍の一斉攻撃の前にトラヴィス大佐を始めテクシャン軍は全滅したのです。


   

             <アラモ前での激闘>

しかし彼らの全滅・死は無駄ではありませんでした。

この全滅の直前・3月2日に独立を宣言したテキサス暫定政府は、翌月21日の 『サンジェントンの戦い』で〝アラモを忘れるな〟を合言葉にメキシコ軍を撃破し、テキサス共和国の独立を承認させることに成功したのですから・・・。


その後同国は1845年にアメリカ合衆国に28番目の州として併合され、これを阻止しようとするメキシコとアメリカが翌年衝突(米墨戦争)するも、火力に勝るアメリカがメキシコを圧倒。


アメリカはカリフォルニア・ネバダ・ユタ・アリゾナなど南西部一体の管理権を得ることとなり、反してメキシコは国土の1/3を失うことに。


さて、一見日本とは無関係と思われる一連のアメリカ・メキシコの争いですが、実は大いに関係があるのです。


それは、ペリーの来航。

彼が率いる黒船艦隊は、元々米墨戦争のために編成されたものでした。

それが思いの外早くに戦争が終結し、更にアメリカがカリフォルニアを傘下に収めたことにより、太平洋へと打って出られるようになったというわけ。

ですから、もしメキシコがもう少し踏ん張って抵抗を続ければ、ペリーの浦賀来航は大幅に遅れるか、なかった・・・とすれば、日本の歴史は大きく変わっていたはず。

歴史のアヤは、地球全体の動きで捉えると実に面白いですネ。  




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