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怪 僧

私がこの人物の存在を初めて知ったのは、1994年から14年間ビッグコミックスペリオールに

連載され、後に実写版の映画化もされた人気コミック 『あずみ』 にキーパーソンの一人として登場したからでした。

何やらミステリアスな人物として描かれていましたが・・・今日は、実在したことは確かなれど実際に謎めいた経歴の持ち主であった

 南光坊天海

の命日にあたります。


通説では、1536(天文3)年に陸奥国会津大沼郡高田郷に生まれた彼は幼少より聡明で、14歳の時に宇都宮・粉川寺に学び、その後比叡山などで天台宗・禅・儒教を修めると、武田信玄や後陽成天皇に法を説いたとか。

そして75歳の時に当時68歳だった徳川家康に初めて会見し、「もっと早く会いたかった」 と言わしめたとか。

その後1613(慶長18)年に日光山の住職に就き、家康・秀忠・家光と徳川3代の将軍のアドバイザーとして仕え、1643(寛永20)年10月2日に、107歳で大往生を遂げたと伝えられています。


         

さて、この天海大僧正に関しては有名な仮説(?)が存在します。

それは、彼が明智光秀だった・・・というもの。

通説では、彼は本能寺の変の直後、秀吉との山崎の合戦に敗れ、逃走中に雑兵に殺害されたとされています。

しかし実は殺されたのは影武者であり、光秀本人は天台宗の総本山・比叡山に身を隠していたというのです。  


         


この説の論拠となっているのは、

◆ 初めて会った老僧にいきなり天下人の家康が心酔するはずがない。 

  以前から知っていた人物と思うのが普通。

◆ 日光の名勝地に〝明智平〟と名付けた。


◆ 豊臣家を滅ぼすことになる『大阪の役』勃発の端緒となった方広寺の鐘銘〝国家安康〟の難癖を考えたのも天海だったといわれるが、それも彼が光秀であり豊臣家に強い恨みがあったから。

また中には、家光の母は信長の姪・お江ではなく、その乳母とされた春日局であり、名前も家康と光秀から取ったもの、とする説も。

これは春日局が本能寺の変で活躍した光秀の家臣・斎藤利三の娘であり、
通常一族の仇となる家系から乳母を出すとは考えられず、何がしかの強い因縁や力が働いたと考えるのが普通だが、天海=光秀だったならば筋が通るというのです。

※春日局に関する過去記事は、こちら。(↓)
   
http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10304753311.html

但し、この説には大きなネックがあります。

それは、年齢。

もし天海が光秀だったとすれば、彼は116年生きたことに。

もっとも、光秀の生年自体不確かですから何とも言えませんが、平均寿命が5,60歳だった当時に、これだけ長生きすることは、かなり難しかったはず。

ただし、可能性はゼロとは言い切れませんが・・・。

まぁ少なくともチンギス・ハン=源義経という説より可能性はありそうです。

この説に基づいて大河ドラマを制作すれば、結構面白くて視聴率取れそうですが・・・皆さんは信じますか?うー








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