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カッパ

河童ではありません。 ギリシャ文字の〝κ〟(カッパ)です。


今からちょうど60年前の今日、我が国初の地球観測用ロケット、


 カッパロケット (K-1型)


が打ち上げられました。


開発責任者は、日本ロケット工学の第一人者・糸川英夫博士。


敗戦後の日本はGHQによって徹底的に軍備解体されられ、航空機の研究すら禁止されてしまいました。

そして1952(昭和27)年のサンフランシスコ講和条約によりようやく独立を果たした時、航空機はジェット機の時代に突入し、日本は大きく後れを取っていたのです。 


しかしそんな時代に於いて、

「アメリカでは既にロケットの時代に入っている。 


我が国は空気がない所でも安定して飛べるロケット研究をすべき。」

と主張したのが、半年間アメリカで過ごしていた糸川博士でした。


          

糸川博士の「航空機に代わる超音速で超高層を飛ぶ飛翔体を作る」 という先鋭的な構想に魅せられた若い研究者が集結し、1954年に

Avionics and Supersonic Aerodynamics


つまり航空電子工学と超音速の空気力学を究めようという〝AVSA研究班〟が東京大学生産技術研究所内に立ち上がります。


ちょうど時を同じくして、イタリア・ローマで IGY International Geophysical Year = 国際地球観測年) の準備会議が開催されました。

これは世界各国の科学者が共同観測を行い、地球の全体像を把握しようという目論みだったのですが・・・この時に2つの特別プロジェクトが立ち上がることに。

ひとつは南極大陸観測。

これに日本が参加することになり、南極観測船 『宗谷』 が建造され昭和基地建設や南極越冬隊派遣に結びつきました。

そしてもうひとつがロケットによる上層大気の観測。

「1958年までに高度100kmまで到達できるロケットを作れるか?」

と問われた糸川博士は、「飛ばしましょう」 と即答。

これによって日本は南極観測と同じくロケット観測に加わることになったのです。


当時高度100kmに到達する観測ロケットを保有していたのはアメリカとフランスだけで、いずれも液体燃料を使用。

しかし糸川博士率いる
AVSA研究班は安価な固形燃料使用に拘り、小型のペンシル型ロケットから実験を重ね、ペンシル→ベビー、更にギリシァ文字のアルファ→ベータ→カッパ→オメガと徐々に機体を大きくしていく戦略を採用。

ペンシル、ベビーと実験を重ねつつ大型化を進めたものの、IGY に間に合わせるため開発のピッチを速める必要性が生じ、アルファ・ベータはスキップし、いきなりカッパの開発に着手。


翌1955年10月にカッパロケット打ち上げのため秋田県の道川海岸に実験場を建設。

といっても当時はロケット運搬は馬車、コントロールセンターは屋根もなし・・・という牧歌的な趣きだったそうですが・・・。

そして幾度となく燃焼実験を繰り返した末、直径11cmのマカロニ状の固形燃料を搭載した全長2.7mのK-1ロケットは、1956(昭和31)年9月24日に打ち上げ成功。

上空5kmまで上昇したのです。


        

               K-1型カッパロケット

その後も実験・改良・大型化を続け、IGY 期限前の1968年6月には、ついに上空40kmまで到達できる直径25cmと16cmの二段・全長5.4m・総重量255kgのK-6型ロケットが完成。

結局IGY 期限内に観測用ロケットを完成させたのは、アメリカ・ソ連・イギリスと日本の4ヶ国だけでした。


その後1963年に発射場を種子島・内之浦に移してロケット開発・実験は続けられ、カッパロケットは1988年まで打ち上げられました。

(最も多かったK-9M型が1961年から28年間で累計81機。)


アメリカのNASAのように莫大な予算がつかないこともあり、未だ有人ロケットは打ち上げられていませんが、『ハヤブサ』 帰還成功という金字塔も打ち立てた日本。

日本人特有の努力と知恵で、JAXA 宇宙航空研究開発機構)にはこれからも宇宙開発の先陣を切って欲しいものです。扇子



 


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