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B S

・・・といっても、衛星放送のことではありません。

今日は〝BS〟の略称で親しまれ、現在世界最大のタイヤ・メーカーであるブリヂストンの創業者、

 石橋 正二郎 

の命日・没後40周年にあたります。


石橋氏は1889(明治22)年に福岡県・久留米市で着物の仕立屋を営む父・徳次郎氏の次男として生まれました。

学業優秀でありながら、久留米商業高校を卒業後は病気療養中の父の希望で進学を諦め、二代目徳次郎となった兄・重太郎氏と共に家業を継ぎますが、すぐに兄が徴兵されたため、実質的に正二郎氏が一人で切り盛りすることに。



しかし生来から経営感覚に優れた彼は、職人技に頼る仕立屋の将来に疑問を持ち、それまで仕事の一部であった足袋製造に特化することを決意。

大量生産するために裁断機や石油発動機を導入し、弟子が仕事を覚えるまで無休で働く古い徒弟制度を廃止して給与制を取り入れ、大量の労働力を確保。

誰もやったことのないこの大改革を、弱冠18歳で決断・実行したのですから、凄い!

また地元で初めて自動車を購入し、街中を走らせて宣伝を行うという斬新な広報活動を行い、更には業界初のサイズに関係ない均一料金での販売を行ったことで大評判となり、会社は急成長。

1918(大正7)年に兄・二代目徳次郎を社長、彼自身が専務取締役としなって日本足袋株式会社を設立し、国内四大メーカーのひとつに名を連ねました。

1923(大正12)年には、アメリカ製テニスシューズからヒントを得て、足底のゴムを貼り付ける方式を編み出して実用新案を取得。

『アサヒ地下足袋』 の名で売り出されて大人気を博し、以後〝地下足袋〟は普通名詞として国内で定着。

しかし正二郎氏は、この成功で満足しませんでした。

         

関東大震災以降国内に広がり始めたモータリゼーションの波を感じた正二郎氏は、それまで輸入100%だった自動車のタイヤをそれまでのゴム製造のノウハウを生かして国内生産しようと決意。

兄をはじめ周囲が反対する中、日本足袋(株)の社長の座を兄から譲り受けると社内にタイヤ部を設置し、工場を新設。

1930(昭和4)年に、日本初の純国産・自動車用タイヤの製造に成功。
翌年ブリヂストンタイヤ株式会社を設立しました。


この社名は、当時の大手タイヤメーカーが発明者や創業者の名をそのままつけている例が多かったため、当初石橋姓を英訳して〝ストーンブリッヂ〟にしようとしましたが、語呂が良くないことから並び替えて〝ブリヂストン〟に。

また商標は石で橋を築くときに中心となる要石(キーストン)の断面図形を採用し、その中にブリッヂストンの頭文字であるBとSの2文字を配置したとのこと。

             

以後1963年まで社長、1973年まで会長を務めて同社の陣頭指揮を執り、更に相談役として1976年9月11日に87歳でこの世を去るまで、社業に貢献されました。

個人的には、ブリヂストン社にはタイヤはもちろん、ゴルフクラブやボールで大変お世話になったので、大変親しみがありますが、それも正二郎氏の才覚と、莫大な投資を必要とした新事業に打って出た決断あったればこそ。

同氏の歩みについて詳しく知りたい方には、こちらの書籍がオススメ。

『創業者・石橋正二郎―ブリヂストン経営の原点
                    (小島直記・著 新潮文庫・刊)


       

著者はかつてブリヂストン社に勤務しており、石橋氏にも世話になった方。

従って少なからず美化した記述もあるようですが、半面創業社長を身近で見ていた分他人には分かりえない人間性・内面も描いています。

今宵は同書を読み返しつつ、偉大なる経営者のご冥福をお祈りしたいと思います。

ただ一点だけ、お嬢さんの安子さんが鳩山威一郎氏と結婚し、宇宙人を世に出してしまったことだけが残念ですが・・・。うー




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