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空 襲

軍事超大国・アメリカ合衆国。

大東亜戦争時には日本に雨あられのように爆弾を投下し、おまけに最後には原爆まで落として何十万もの一般人を無差別に殺害しました。

その後我が国だけでなく、ベトナムをはじめ何ヶ国にも爆撃を行ってきていますが・・・1776年に独立し今年で建国240年を迎える同国も、ただ1度(厳密には2回)戦時中に本土空襲を受けたことがあります。

歴史的(?)なその攻撃を加えたのは・・・我らが日本軍でした。扇子

真珠湾攻撃によって火ぶたを切った日米間の戦争は、当初日本軍の連戦連勝。

アメリカ軍は、真剣に日本軍の連合艦隊による米本土上陸を恐れていたといいます。

そこで米海軍は国民の士気を鼓舞するため、1942(昭和17)年4月に空母に搭載したB-25爆撃機で日本本土をいきなり空襲。

太平洋での連戦連勝を続けていた日本にショックを与えました。

面子をつぶされた大日本帝国海軍は、これに対抗して急遽 『伊号第二十五潜水艦』 を使ってアメリカ本土への空襲を計画。

     
                伊25と同型の伊26潜水艦

少量の爆弾でも延焼効果が期待できるという理由から、目標を西海岸・オレゴン州の森林に焼夷弾を投下することに決定。

搭載する零式小型水上偵察機を急遽焼夷弾2発搭載できるように改造。

        

1942年6月に太平洋沖からオレゴン州に砲撃を加え、7月に横須賀港に戻った 『伊25』 は、翌8月15日に再びオレゴン州沖に向かって出港し、9月7日目的海域に到達。

天候の回復を2日待ち、9月9日深夜に藤田信雄飛行兵曹長と奥田省三飛行兵曹2名が搭乗した改造偵察機は76kg焼夷弾2個を積んで 『伊25』 の甲板から飛び立ち、カリフォルニア州境に近いオレゴン州ブルッキングス近郊の森林に爆弾を投下し、無事帰投。



更に同機は20日後の9月29日深夜にも回目の空襲に成功。

この空襲に関し、日本の新聞は

荒鷲・米本土を初空襲 オレゴン西南部、暁の奇襲

 焼夷弾投下火災を発す 米狼狽、沖合の潜水艦盲爆。〟


などと、大々的に報じましたが、実際には森林を延焼させただけで人的な被害はなし。

それでも米国民に対して日本軍の恐怖感を植え付ける心理的効果を上げることには成功しました。

ただこの空襲により、F・ルーズベルト大統領が発令して1942年2月から始まったアメリカ本土での日系人の強制収容を正当化する口実にもなってしまいましたが。

その後 『伊25』 はアメリカのタンカーを一隻沈めるなどしたものの、翌1943年9月に消息不明・・・沈没したものと思われます。

しかし空襲を敢行した藤田曹長は1997年まで存命。

         


その藤田氏に1962(昭和37)年5月、オレゴン州から 「貴殿の勇気と愛国心に敬意を表したい」 と書かれた招待状が届きます。

藤田氏は敵国から敬意を表されるのか理解できず、万一の際には割腹自殺をする覚悟で日本刀を持って渡米。

しかし彼の疑念は杞憂でした。 爆撃したブルッキングスの市民から、

「米国本土を爆撃した、唯一人のサムライ!」

と称えられた藤田氏は感激し、罪滅ぼしとして持参した日本刀を寄贈。

         

そして藤田氏が亡くなった翌年の1998年10月に遺族が再び同地を訪問し、
遺灰を〝アメリカ大陸が唯一日本機に空爆された地点〟と書かれた標識の袂に埋めたそうな。

こんな交流があったことを知ると、少し救われた気持ちになりますネ。笑3



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