FC2ブログ
カッカッカッ

この笑い方で、今日の主人公が誰か分かった人は、おそらく中高年・時代劇ファンでしょうネ。

今日・9月8日は、長寿テレビドラマとして多くの視聴者を楽しませてくれた 『水戸黄門』 の初代・ご老公、


 東野 英治郎 さん


の命日・二十三回忌にあたります。


東野 (英治郎=本名) さんは1907 (明治40) 年に群馬県富岡市で生まれました。

父親は滋賀出身で単身関東に転居し、苦労して造り酒屋を立ち上げた近江商人でしたが、英治郎さんは明治大学商学部に進学すると学内の非合法サークルに出入りし、左翼思想に目覚めてしまいます。


卒業後、1931(昭和6)年に劇団築地小劇場のプロレタリア演劇研究所の第一期生として入団。


東京左翼劇場の 『恐山トンネル』 で初舞台を踏むと、その後は〝本庄克二〟の芸名で端役として舞台に立つ一方、プロレタリア運動に従事。

その後役者としての評価を高めた東野さんは、書記長や演技部長を務めるなど劇団の中心人物に。

しかし1940(昭和15)年、治安維持法違反で検挙され、劇団は強制解散。

東野さん自身は釈放されたものの、内務省からは本名で活動することを命じられます。


1944(昭和19)年に小沢栄太郎さんらと俳優座を結成すると、その後は黒澤明監督の 『七人の侍』 や 『用心棒』、小津安二郎監督の 『東京物語』、木下惠介監督の 『楢山節考』、山本薩夫監督の『 白い巨塔』 等々、日本を代表する名監督の作品に脇役として出演。

個人的には、日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』(1970年公開)の南雲忠一中将役が強く印象に残っています。

         

バイプレーヤーとして高い評価を受けていた東野さんが主役としてお茶の間の人気を得たのが、1969(昭和44)年から始まったTBSドラマ 『水戸黄門』 の水戸光圀役。

中学・高校時代はほぼ毎週観ていましたから、私の中では〝水戸のご老公=東野さん〟ですっかり固まっちゃっています。

あの 「カッカッカッ」 という笑い声、今でも耳に残っていますから。


        

ただこの独特の笑い声、定着するまで3年も要したんですって。

当初は納得できる笑い方が出来ず、ストレスが溜まって周囲に当たり散らしたため、見かねた息子の俳優・英心さんが付き人として付き添ったのだとか。


この初代・水戸光圀役は、高齢を理由に1983(昭和58)年に降板するまで、実に14年間に渡りお茶の間を楽しませてくれました。

私服で外出しても東野さんを見て土下座をする老人がいたそうですから、如何に彼が黄門様として国民の間に親しまれていたかが分かります。

ただ私の場合はある時期から毎回午後8時40分すぎ・・・チャンバラと印籠の登場とご老公の笑い声だけ観てましたが。あせあせ

1990(平成2)年から日本新劇俳優協会の会長を務める傍ら、時々俳優として出演をしていましたが、今から22年前の今日・1994年9月8日・・・自宅で心不全により86歳の生涯に幕を下ろしました。

実は東野さんには、1940年に結婚した12歳年上の奥さんがいらっしゃいました。

ところが下積み時代の彼を支えた糟糠の妻を、東野さんは11年後に26歳下の愛人が出来たため捨ててしまいます。

しかし奥さんは頑として離婚を承諾せず、2人が入籍できたのは奥様が亡くなった1981年のこと。

つまり水戸のご老公役を演じていた時期の殆どは不倫生活だった・・・というわけ。

〝女性は芸の肥やし〟と言いますが、もしこの不倫が現代のようにネット等でもっと世間に知られていたら、彼の人気はどうなっていたか・・・?

おさらく、今頃は天国で奥様に彼の方が土下座して謝っているのかもしれませんネ。ダメだぁ顔

 


             人気ブログランキング


スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック