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名所画

中高年の方ならご記憶の方もいらっしゃると思いますが・・・1965(昭和40)年から10年間ほど、永谷園の『お茶漬け海苔』に東海道五十三次の浮世絵カードがおまけについてきました。

これを20枚集めて郵送料と共に永谷園に送ると、化粧箱入りで55枚のフルセットがもらえるってことで、私はそれが欲しくて一生懸命お茶漬けを食べた時期がありました。

ただあまりに集中的に食べ過ぎて飽きてしまい、結局55枚セットを手にすることはなかったのですが・・・今日はその作者である浮世絵の巨匠、

 歌川 広重

の命日にあたります。

広重 (※本名:安藤重右衛門 後に鉄蔵。 広重は屋号。 安藤広重と言われることもありますが、本名と屋号を合成した呼称であり、本人も使ったことがなかったそうな。)
1797(寛政9)年の江戸生まれ。

父親の安藤源右衛門は八代洲河岸(やよすがし)定火消屋敷の同心でした。


幼少の頃から絵心に優れていたそうですが、13歳の時に母・父と立て続けに亡くしたため同心職を継ぐことに。

しかし絵画に対する思い絶ち難く、広重は15歳の時に初代・歌川豊国に弟子入りを乞いますが満員で叶わず、歌川豊広に入門。

翌年には師匠と自分の本名から1文字ずつを取って、歌川広重を名乗ります。


そして27歳の時に家督を祖父方の嫡子・仲次郎に譲り、絵師に専心することに。

当初は流行していた役者絵・美人絵を描いていましたが、1828年に師匠の豊広が没すると風景画が主体となります。

更に1832年、36歳の時に正式に同心職を仲次郎に譲り、浮世絵師として独立・・・名作・東海道五十三次を手掛けたのは、まさにこの年でした。

このシリーズは、徳川幕府が朝廷に駿馬を献上するために亰まで行列する〝八朔御馬献上〟に同行したこと。

そのいずれもが名作ですが、私が特に興味を持ったのは、庄野の〝白雨〟。(


      


筆を使った手書きなのに、どうしてこんな細い雨を見事に描けるのか? 

子供心に不思議に思ったり感心したものです。

翌1833年に発表された53の宿場と江戸・京都の計55箇所を描いたこのシリーズは、遠近法を用いて各宿場にあった季節を選んで立体的に描き、大人気を博すとともに〝名所絵師〟の第一人者としての地位を確立しました。


これ以降、広重は東海道を題材にした浮世絵シリーズを20以上、また他に 『京都名所之内』、『近江八景』、『木曽海道六十九次』、『江戸近郊八景』、『名所江戸百景』など、諸国の名所絵を製作。


彼の作品は国内に留まらず、欧米に流出するとともにその大胆な構図と青(藍)色の美しさが〝ヒロシゲブルー〟と呼ばれ高く評価されました。

19世紀後半のフランス印象派やアール・ヌーボー派の画家たち・・・モネやゴッホらに多大な影響を与えたことは広く知られています。


また一方では2代・3代広重や歌川広景・歌川重清・歌川重春ら多数の門人を育て、浮世絵の存続・発展に寄与しました。


大変話し好きかつ人の世話好きな人だったそうですが、反面フラッと出かけてしまう放浪癖(?)もあり、奥さんを悩ませたとか・・・さすがは名所画家といえましょうか。あせあせ

そんな広重が亡くなったのは、今から158年前の今日・・・『安政の大獄』 が始まった1858(安政5)年の9月6日でした。

死因は、なんとコレラ。
当時の流行り病だったそうです。

もう少し長生きしてくれていれば、北斎の如く更に多くの名作を残してくれたでしょうに、残念。


私たちは、日本の生んだ芸術・浮世絵にもっと目を向けるべきかもしれません・・・そんなことを思いつつ、〝世界の広重〟の冥福を祈りたいと思います。笑3





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